る。バナナ、アイスクリイム、パイナアップル、ラム酒、――まだその外にもあったかも知れない。僕は当時新宿にあった牧場の外の槲《かし》の葉かげにラム酒を飲んだことを覚えている。ラム酒は非常にアルコオル分の少ない、橙黄色《とうこうしょく》を帯びた飲料だった。
 僕の父は幼い僕にこう云う珍らしいものを勧め、養家から僕を取り戻そうとした。僕は一夜大森の魚栄でアイスクリイムを勧められながら、露骨に実家へ逃げて来いと口説かれたことを覚えている。僕の父はこう云う時には頗《すこぶ》る巧言令色を弄《ろう》した。が、生憎《あいにく》その勧誘は一度も効を奏さなかった。それは僕が養家の父母を、――殊に伯母を愛していたからだった。
 僕の父は又短気だったから、度々誰とでも喧嘩《けんか》をした。僕は中学の三年生の時に僕の父と相撲《すもう》をとり、僕の得意の大外刈りを使って見事に僕の父を投げ倒した。僕の父は起き上ったと思うと、「もう一番」と言って僕に向って来た。僕は又造作もなく投げ倒した。僕の父は三度目には「もう一番」と言いながら、血相を変えて飛びかかって来た。この相撲を見ていた僕の叔母――僕の母の妹であり、僕の父の後妻だった叔母は二三度僕に目くばせをした。僕は僕の父と揉《も》み合《あ》った後、わざと仰向《あおむ》けに倒れてしまった。が、もしあの時に負けなかったとすれば、僕の父は必ず僕にも掴《つか》みかからずにはいなかったであろう。
 僕は二十八になった時、――まだ教師をしていた時に「チチニウイン」の電報を受けとり、倉皇《そうこう》と鎌倉から東京へ向った。僕の父はインフルエンザの為に東京病院にはいっていた。僕は彼是《かれこれ》三日ばかり、養家の伯母や実家の叔母と病室の隅に寝泊りしていた。そのうちにそろそろ退屈し出した。そこへ僕の懇意にしていた或|愛蘭土《アイルランド》の新聞記者が一人、築地の或待合へ飯を食いに来ないかと云う電話をかけた。僕はその新聞記者が近く渡米するのを口実にし、垂死《すいし》の僕の父を残したまま、築地の或待合へ出かけて行った。
 僕等は四五人の芸者と一しょに愉快に日本風の食事をした。食事は確か十時頃に終った。僕はその新聞記者を残したまま、狭い段梯子《だんばしご》を下って行った。すると誰か後ろから「ああさん」と僕に声をかけた。僕は中段に足をとめながら、段梯子の上をふり返った。そこに
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