も知れません。
 小野の小町 (独り語《ごと》のように)あの時に死ねば好《よ》かったのです。黄泉《よみ》の使に会った時に、……
 玉造の小町 おや、あなたもお会いになったのですか?
 小野の小町 (疑《うたがい》深そうに)あなたもと仰有《おっしゃ》るのは? あなたこそお会いになったのですか?
 玉造の小町 (冷やかに)いいえ、わたしは会いません。
 小野の小町 わたしの会ったのも唐《から》の使です。
 しばらくの間《あいだ》沈黙。黄泉の使、忙《いそが》しそうに通りかかる。
 玉造の小町 ┐
 小野の小町 ┘黄泉の使! 黄泉の使![#「黄泉の使! 黄泉の使!」は2行の中央、括弧は2行にわたる波括弧]
 黄泉の使 誰です、わたしを呼びとめたのは?
 玉造の小町 (小野の小町に)あなたは黄泉の使を御存知ではありませんか?
 小野の小町 (玉造の小町に)あなたも知らないとはおっしゃれますまい。(黄泉の使に)このかたは玉造の小町です。あなたはとうに御存知でしょう。
 玉造の小町 このかたは小野の小町です。やっぱりあなたのお馴染《なじみ》でしょう。
 使 何、玉造の小町に小野の小町! あなたがたが、――骨と皮ばかりの女乞食が!
 小野の小町 どうせ骨と皮ばかりの女乞食ですよ。
 玉造の小町 わたしに抱きついたのを忘れたのですか?
 使 まあ、そう腹を立てずに下さい。あんまり変っていたものですから、つい口を辷《すべ》らせたのです。……時にわたしを呼びとめたのは、何か用でもあるのですか?
 小野の小町 ありますとも。ありますとも。どうか黄泉へつれて行って下さい。
 玉造の小町 わたしも一しょにつれて行って下さい。
 使 黄泉へつれて行け? 冗談《じょうだん》を云ってはいけません。またわたしを欺《だま》すのでしょう。
 玉造の小町 あら、欺しなどするものですか!
 小野の小町 ほんとうにどうかつれて行って下さい。
 使 あなたがたを! (首を振りながら)どうもわたしには受け合われません。またひどい目に会うのは嫌《いや》ですから、誰かほかのものにお頼みなさい。
 小野の小町 どうかわたしを憐《あわ》れんで下さい。あなたも情《なさけ》は知っているはずです。
 玉造の小町 そんなことを云わずに、つれて行って下さい。きっとあなたの妻になりますから。
 使 駄目《だめ》です。駄目です。あなたがたにかかり合うと――いや、あなたがたばかりではない、女と云うやつにかかり合うと、どんな目に会うかわかりません。あなたがたは虎《とら》よりも強い。内心|如夜叉《にょやしゃ》の譬《たとえ》通りです。第一あなたがたの涙の前には、誰でも意気地《いくじ》がなくなってしまう。(小野の小町に)あなたの涙などは凄《すご》いものですよ。
 小野の小町 嘘です。嘘です。あなたはわたしの涙などに動かされたことはありません。
 使 (耳にもかけずに)第二にあなたがたは肌身《はだみ》さえ任《まか》せば、どんなことでも出来ないことはない。(玉造の小町に)あなたはその手を使ったのです。
 玉造の小町 卑《いや》しいことを云うのはおよしなさい。あなたこそ恋を知らないのです。
 使 (やはり無頓着《むとんじゃく》に)第三に、――これが一番恐ろしいのですが、第三に世の中は神代《かみよ》以来、すっかり女に欺《だま》されている。女と云えばか弱いもの、優しいものと思いこんでいる。ひどい目に会わすのはいつも男、会わされるのはいつも女、――そうよりほかに考えない。その癖ほんとうは女のために、始終《しじゅう》男が悩まされている。(小野の小町に)三十番神《さんじゅうばんじん》を御覧なさい。わたしばかり悪ものにしていたでしょう。
 小野の小町 神仏《かみほとけ》の悪口《わるぐち》はおよしなさい。
 使 いや、わたしには神仏よりも、もっとあなたがたが恐ろしいのです。あなたがたは男の心も体も、自由自在に弄《もてあそ》ぶことが出来る。その上万一手に余れば、世の中の加勢《かせい》も借りることが出来る。このくらい強いものはありますまい。またほんとうにあなたがたは日本国中至るところに、あなたがたの餌食《えじき》になった男の屍骸《しがい》をまき散らしています。わたしはまず何よりも先へ、あなたがたの爪にかからないように、用心しなければなりません。
 小野の小町 (玉造の小町に)まあ、何と云う人聞きの悪い、手前勝手な理窟《りくつ》でしょう。
 玉造の小町 (小野の小町に)ほんとうに男のわがままには呆《あき》れ返ってしまいます。(黄泉《よみ》の使に)女こそ男の餌食《えじき》です。いいえ、あなたが何と云っても、男の餌食に違いありません。昔も男の餌食でした。今も男の餌食です。将来も男の、……
 使 (急に晴れ晴れと)将来は男に有望です。女の太政大臣《だいじょうだいじん》、女の検非違使《けびいし》、女の閻魔王《えんまおう》、女の三十番神、――そういうものが出来るとすれば、男は少し助かるでしょう。第一に女は男狩りのほかにも、仕栄《しば》えのある仕事が出来ますから。第二に女の世の中は今の男の世の中ほど、女に甘いはずはありませんから。
 小野の小町 あなたはそんなにわたしたちを憎《にく》いと思っているのですか?
 玉造の小町 お憎みなさい。お憎みなさい。思い切ってお憎みなさい。
 使 (憂鬱《ゆううつ》に)ところが憎み切れないのです。もし憎み切れるとすれば、もっと仕合せになっているでしょう。(突然また凱歌《がいか》を挙げるように)しかし今は大丈夫です。あなたがたは昔のあなたがたではない。骨と皮ばかりの女乞食です。あなたがたの爪にはかかりません。
 玉造の小町 ええ、もうどこへでも行ってしまえ!
 小野の小町 まあ、そんなことを云わずに、……これ、この通り拝みますから。
 使 いけません。ではさようなら。(枯芒《かれすすき》の中に消える)
 小野の小町 どうしましょう?
 玉造の小町 どうしましょう?
 二人ともそこへ泣き伏してしまう。
[#地から1字上げ](大正十二年二月)



底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
   1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月10日公開
2004年3月10日修正
青空文庫作成ファイル:
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