《うかが》いに参りました。閣下、これが人間らしい行《おこない》でございましょうか。
 私は閣下に、これだけの事を申上げたいために、この手紙を書きました。私たち夫妻を凌辱《りょうじょく》し、脅迫する世間に対して、官憲は如何なる処置をとる可《べ》きものか、それは勿論閣下の問題で、私の問題ではございません。が、私は、賢明なる閣下が、必ず私たち夫妻のために、閣下の権能を最も適当に行使せられる事を確信して居ります。どうか昭代《しょうだい》をして、不祥の名を負わせないように、閣下の御《ご》職務を御完《おまっと》うし下さい。
 猶、御質問の筋があれば、私はいつでも御署《おんしょ》まで出頭致します。ではこれで、筆を擱《お》く事に致しましょう。

     第二の手紙

 ――警察署長閣下、
 閣下の怠慢《たいまん》は、私たち夫妻の上に、最後の不幸を齎《もたら》しました。私の妻は、昨日《さくじつ》突然失踪したぎり、未《いまだ》にどうなったかわかりません。私は危みます。妻は世間の圧迫に耐え兼ねて、自殺したのではございますまいか。
 世間はついに、無辜《むこ》の人を殺しました。そうして閣下自身も、その悪《にく》む可き幇助者《ほうじょしゃ》の一人になられたのでございます。
 私は今日《こんにち》限り、当区に居住する事を止《や》めるつもりでございます。無為無能なる閣下の警察の下《もと》に、この上どうして安んじている事が出来ましょう。
 閣下、私は一昨日、学校も辞職しました。今後の私は、全力を挙げて、超自然的現象の研究に従事するつもりでございます。閣下は恐らく、一般世人と同様、私のこの計画を冷笑なさる事でしょう。しかし一警察署長の身を以て、超自然的なる一切を否定するのは、恥ずべき事ではございますまいか。
 閣下はまず、人間が如何に知る所の少ないかを御考えになるべきでしょう。たとえば、閣下の使用せられる刑事の中にさえ、閣下の夢にも御存知にならない伝染病を持っているものが、大勢居ります。殊にそれが、接吻《せっぷん》によって、迅速に伝染すると云う事実は、私以外にほとんど一人も知っているものはございません。この例は、優《ゆう》に閣下の傲慢《ごうまん》なる世界観を破壊するに足りましょう。……

       ×          ×          ×

 それから、先は、ほとんど意味をなさない、哲学じみた事が、長々と書いてある。これは不必要だから、ここには省く事にした。
[#地から1字上げ](大正六年八月十日)



底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
   1995(平成7)年10月5日第13刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月6日公開
2004年3月7日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全7ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング