せう》と靡《なび》いた竹の上に、消えさうなお前が揚《あが》つてゐる。黒ずんだ印《いん》の字を読んだら、大明方外之人《たいみんはうぐわいのひと》としてあつた。

     麝香獣《じやかうじう》

 梅紅羅《ばいこうら》の軟簾《なんれん》の中に、今夜《こんや》も独り眠つてゐる、淫婦|潘金蓮《はんきんれん》の妖《あや》しい夢。

     獺《かはをそ》

 毎晩廊下へ出して置く、台《だい》の物《もの》の残りがなくなるんですよ。獺《かはをそ》が引いて行《い》くんですつて。昨夜《ゆうべ》も舟で帰る御客が、提灯《ちやうちん》の火を消されました。

     黒豹《くろへう》

 お前は歯の美しい Black Mary だ。南京玉《なんきんだま》の首飾りや毛糸の肩掛を持つて行つてやつたら、さぞ喉《のど》をならして喜ぶだらう。

     蒼鷺《あをさぎ》

 何《なん》でも雨上《あまあが》りの葉柳の※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《にほひ》が、川面《かはも》を蒸してゐる時だつた。お前はその柳の梢《こずゑ》に、たつた一羽止まつてゐたが、「夕焼け、小焼け、あした天気になあれ。」――そんな唄を謡《うた》つて通《とほ》つた、子供の時のおれを覚えてゐるかい?

     栗鼠《りす》

 亜欧堂田善《あおうだうでんぜん》の銅版画《どうばんぐわ》の森が、時代のついた薄明りの中に、太い枝と枝とを交《か》はしてゐる。その枝の上に蹲《うづくま》つた、可笑《をか》しい程悲しいお前の眼つき……

     鴉《からす》

「今晩は。」「今晩は。この竹藪は風が吹くと、騒々しいのに閉口します。」「ええ、その上月のある晩は、余計《よけい》何《なん》だか落着きませんよ。――時に隠亡堀《おんばうぼり》は如何《いかが》でした?」「隠亡堀ですか? あすこには今日《けふ》も不相変《あひかはらず》、戸板に打ちつけた死骸がありました。」「ああ、あの女の死骸ですか。おや、あなたの嘴《くちばし》には、髪の毛が何本も下《さが》つてゐますよ。」

     ジラフ

 これは玩具《おもちや》だ。黄色い絵の具と黒い絵の具とが、まだ乾かずにべたべたしてゐる。尤《もつと》も人間の子供の玩具《おもちや》には、ちつと大きすぎるかも知れない。さしづめあの小ましやくれた、幼児《ランフアン》基督の玩具には持つて来いだ。

     金糸雀《かなりや》

 理髪店の店さきには、朝日の光がさわやかに、万年青《おもと》の鉢を洗つてゐる。鋏《はさみ》の音、水の音、新聞紙を拡げる音、――その音の中に交《ま》じるのは、籠一ぱいに飛びまはる、お前たちの囀《さへづ》り声、――誰だい、今|親方《おやかた》に挨拶した新造《しんぞ》は?

     羊

 或日おれは檻《をり》の羊に、いろいろな本を食はせてやつた。聖書、Une Vie, 唐詩選《たうしせん》、――何《なん》でも羊は食つてしまふ。が、その中にたつた一つ、いくら鼻の先へ出してやつても、食はない本があると思つたら、それはおれの小説集だつた。覚えてゐろよ。綿細工《わたざいく》め。
[#地から1字上げ](大正九年九月)



底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
   1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
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