た故、黍団子《きびだんご》をやっても召し抱えたのだ。――どうだ? これでもまだわからないといえば、貴様たちも皆殺してしまうぞ。」
鬼の酋長は驚いたように、三尺ほど後《うしろ》へ飛び下《さが》ると、いよいよまた丁寧《ていねい》にお時儀《じぎ》をした。
五
日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹と、人質に取った鬼の子供に宝物の車を引かせながら、得々《とくとく》と故郷へ凱旋《がいせん》した。――これだけはもう日本中《にほんじゅう》の子供のとうに知っている話である。しかし桃太郎は必ずしも幸福に一生を送った訣《わけ》ではない。鬼の子供は一人前《いちにんまえ》になると番人の雉を噛《か》み殺した上、たちまち鬼が島へ逐電《ちくでん》した。のみならず鬼が島に生き残った鬼は時々海を渡って来ては、桃太郎の屋形《やかた》へ火をつけたり、桃太郎の寝首《ねくび》をかこうとした。何でも猿の殺されたのは人違いだったらしいという噂《うわさ》である。桃太郎はこういう重《かさ》ね重《がさ》ねの不幸に嘆息《たんそく》を洩《も》らさずにはいられなかった。
「どうも鬼というものの執念《しゅうねん》の深いのには困ったものだ。」
「やっと命を助けて頂いた御主人の大恩《だいおん》さえ忘れるとは怪《け》しからぬ奴等でございます。」
犬も桃太郎の渋面《じゅうめん》を見ると、口惜《くや》しそうにいつも唸《うな》ったものである。
その間も寂しい鬼が島の磯《いそ》には、美しい熱帯の月明《つきあか》りを浴びた鬼の若者が五六人、鬼が島の独立を計画するため、椰子《やし》の実に爆弾を仕こんでいた。優《やさ》しい鬼の娘たちに恋をすることさえ忘れたのか、黙々と、しかし嬉しそうに茶碗《ちゃわん》ほどの目の玉を赫《かがや》かせながら。……
六
人間の知らない山の奥に雲霧《くもきり》を破った桃の木は今日《こんにち》もなお昔のように、累々《るいるい》と無数の実《み》をつけている。勿論桃太郎を孕《はら》んでいた実だけはとうに谷川を流れ去ってしまった。しかし未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。あの大きい八咫鴉《やたがらす》は今度はいつこの木の梢《こずえ》へもう一度姿を露《あら》わすであろう? ああ、未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。……
[#地から1字上げ](大正十三年六月)
底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月8日公開
2004年3月9日修正
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