住み心地のよくないところ
 大体にいへば、今の東京はあまり住み心地のいゝところではない。例へば、大川にしても、僕が子供の時分には、まだ百本杭もあつたし、中洲界隈は一面の蘆原だつたが、もう今では如何にも都会の川らしい、ごみ/\したものに変つてしまつた。殊にこの頃出来るアメリカ式の大建築は、どこにあるのも見にくいものゝみである。その外、電車、カフエー、並木、自働[#「働」に「(ママ)」の注記]車、何《いず》れもあまり感心するものはない。
 しかし、さういふ不愉快な町中でも、一寸した硝子《ガラス》窓の光とか、建物の軒蛇腹《のきじゃばら》の影とかに、美しい感じを見出すことが、まあ、僕などはこんなところにも都会らしい美しさを感じなければ外に安住するところはない。

 広重の情趣
 尤《もっと》も、今の東京にも、昔の錦絵にあるやうな景色は全然なくなつてしまつたわけではない。僕は或る夏の暮れ方、本所の一の橋のそばの共同便所へ入つた。その便所を出て見ると、雨がぽつ/\降り出してゐた。その時、一の橋とたてがはの川の色とは、そつくり広重だつたといつてもいゝ。しかし、さういふ景色に打突《ぶつ》かることは
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