を暗くなすつたと思ふと、突然けたたましく御笑ひになりました。さうしてその御笑ひ聲に息をつまらせながら、仰有いますには、
「おゝ、萬事その方が申す通りに致して遣はさう。出來る出來ぬの詮議は無益《むやく》の沙汰ぢや。」
 私はその御言を伺ひますと、蟲の知らせか、何となく凄じい氣が致しました。實際又大殿樣の御容子も、御口の端には白く泡がたまつて居りますし、御眉のあたりにはびく/\と電《いなづま》が走つて居りますし、まるで良秀のもの狂ひに御染みなすつたのかと思ふ程、唯ならなかつたのでございます。それがちよいと言を御切りになると、すぐ又何かが爆《は》ぜたやうな勢ひで、止め度なく喉を鳴らして御笑ひになりながら、
「檳榔毛《びらうげ》の車にも火をかけよう。又その中にはあでやかな女を一人、上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]の裝《よそほひ》をさせて乘せて遣はさう。炎と黒煙とに攻められて、車の中の女が、悶え死をする――それを描かうと思ひついたのは、流石に天下第一の繪師ぢや。褒めてとらす。おゝ、褒めてとらすぞ。」
 大殿樣の御言葉を聞きますと、良秀は急に色を失つて喘《あへ》ぐやうに唯、脣ばかり動して居りましたが、やがて體中の筋が緩んだやうに、べたりと疊へ兩手をつくと、
「難有い仕合でございまする。」と、聞えるか聞えないかわからない程低い聲で、丁寧に御禮を申し上げました。これは大方自分の考へてゐた目ろみの恐ろしさが、大殿樣の御言葉につれてあり/\と目の前へ浮んで來たからでございませうか。私は一生の中に唯一度、この時だけは良秀が、氣の毒な人間に思はれました。

       十六

 それから二三日した夜の事でございます。大殿樣は御約束通り、良秀を御召しになつて、檳榔毛《びらうげ》の車の燒ける所を、目近く見せて御やりになりました。尤もこれは堀河の御邸であつた事ではございません。俗に雪解《ゆきげ》の御所と云ふ、昔大殿樣の姉君がいらしつた洛外の山莊で、御燒きになつたのでございます。
 この雪解の御所と申しますのは、久しくどなたにも御住ひにはならなかつた所で、廣い御庭も荒れ放題荒れ果てて居りましたが、大方この人氣のない御容子を拜見した者の當推量でございませう。こゝで御歿《おな》くなりになつた妹君の御身の上にも、兎角の噂が立ちまして、中には又月のない夜毎々々に、今でも怪しい御袴の緋の色が、地にもつかず御廊下を歩むなどと云ふ取沙汰を致すものもございました。――それも無理ではございません。晝でさへ寂しいこの御所は、一度日が暮れたとなりますと、遣り水の音が一際陰に響いて、星明りに飛ぶ五位鷺も、怪形《けぎやう》の物かと思ふ程、氣味が惡いのでございますから。
 丁度その夜はやはり月のない、まつ暗な晩でございましたが、大殿油《おほとのあぶら》の灯影で眺めますと、縁に近く座を御占めになつた大殿樣は、淺黄の直衣《なほし》に濃い紫の浮紋の指貫《さしぬき》を御召しになつて、白地の錦の縁をとつた圓座《わらふた》に、高々とあぐらを組んでいらつしやいました。その前後左右に御側の者どもが五六人、恭しく居並んで居りましたのは、別に取り立てて申し上げるまでもございますまい。が、中に一人、眼だつて事ありげに見えたのは、先年[#「先年」は底本では「先生」]|陸奧《みちのく》の戰ひに餓ゑて人の肉を食つて以來、鹿の生角《いきづの》さへ裂くやうになつたと云ふ強力の侍が、下に腹卷を着こんだ容子で、太刀を鴎尻《かもめじり》に佩《は》き反《そ》らせながら、御縁の下に嚴《いかめ》しくつくばつてゐた事でございます。――それが皆、夜風に靡く灯の光で、或は明るく或は暗く、殆ど夢現《ゆめうつゝ》を分たない氣色で、何故かもの凄く見え渡つて居りました。
 その上に又、御庭に引き据ゑた檳榔毛の車が、高い車蓋《やかた》にのつしりと暗を抑へて、牛はつけず黒い轅《ながえ》を斜に榻《しぢ》へかけながら、金物《かなもの》の黄金《きん》を星のやうに、ちらちら光らせてゐるのを眺めますと、春とは云ふものゝ何となく肌寒い氣が致します。尤もその車の内は、浮線綾の縁《ふち》をとつた青い簾が、重く封じこめて居りますから、※[#「車+非」、第4水準2−89−66]《はこ》には何がはいつてゐるか判りません。さうしてそのまはりには仕丁たちが、手ん手に燃えさかる松明《まつ》を執つて、煙が御縁の方へ靡くのを氣にしながら、仔細らしく控へて居ります。
 當の良秀は稍離れて、丁度御縁の眞向に、跪いて居りましたが、これは何時もの香染めらしい狩衣に萎えた揉烏帽子《もみゑぼし》を頂いて、星空の重みに壓されたかと思ふ位、何時もよりは猶小さく、見すぼらしげに見えました。その後に又一人同じやうな烏帽子狩衣の蹲つたのは、多分召し連れた弟子の一人でで
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