―後で聞きますと、この蛇もやはり姿を寫す爲にわざ/\あの男が飼つてゐたのださうでございます。
 これだけの事を御聞きになつたのでも、良秀の氣違ひじみた、薄氣味の惡い夢中になり方が、略御わかりになつた事でございませう。所が最後に一つ、今度はまだ十三四の弟子が、やはり地獄變の屏風の御かげで、云はば命にも關《かゝは》り兼《か》ねない、恐ろしい目に出遇ひました。その弟子は生れつき色の白い女のやうな男でございましたが、或夜の事、何氣なく師匠の部屋へ呼ばれて參りますと、良秀は燈臺の火の下で掌《てのひら》に何やら腥い肉をのせながら、見慣れない一羽の鳥を養つてゐるのでございます。大きさは先、世の常の猫ほどもございませうか。さう云へば、耳のやうに兩方へつき出た羽毛と云ひ、琥珀のやうな色をした、大きな圓い眼《まなこ》と云ひ、見た所も何となく猫に似て居りました。

       十

 元來良秀と云ふ男は、何でも自分のしてゐる事に嘴を入れられるのが大嫌ひで、先刻申し上げた蛇などもさうでございますが、自分の部屋の中に何があるか、一切さう云ふ事は弟子たちにも知らせた事がございません。でございますから、或時は机の上に髑髏《されかうべ》がのつてゐたり、或時は又、銀《しろがね》の椀や蒔繪の高坏《たかつき》が並んでゐたり、その時描いてゐる畫次第で、隨分思ひもよらない物が出て居りました。が、ふだんはかやうな品を、一體どこにしまつて置くのか、それは又誰にもわからなかつたさうでございます。あの男が福徳の大神の冥助を受けてゐるなどゝ申す噂も、一つは確かにさう云ふ事が起りになつてゐたのでございませう。
 そこで弟子は、机の上のその異樣な鳥も、やはり地獄變の屏風を描くのに入用なのに違ひないと、かう獨り考へながら、師匠の前へ畏まつて、「何か御用でございますか」と、恭々しく申しますと、良秀はまるでそれが聞えないやうにあの赤い脣へ舌なめずりをして、
「どうだ。よく馴れてゐるではないか。」と、鳥の方へ頤をやります。
「これは何と云ふものでございませう。私はついぞまだ、見た事がございませんが。」
 弟子はかう申しながら、この耳のある、猫のやうな鳥を、氣味惡さうにじろじろ眺めますと、良秀は不相變《あひかはらず》何時もの嘲笑《あざわら》ふやうな調子で、
「なに、見た事がない? 都育《みやこそだ》ちの人間はそれだから困る。これは二三日前に鞍馬の獵師がわしにくれた耳木兎《みゝづく》[#底本は「みゝづく」に「耳木兎」と「木兎」の双方をあてている。以下、これに関しては底本どおり記載する。]と云ふ鳥だ。唯、こんなに馴れてゐるのは、澤山あるまい。」
 かう云ひながらあの男は、徐に手をあげて、丁度餌を食べてしまつた耳木兎《みゝづく》の背中の毛を、そつと下から撫で上げました。するとその途端でございます。鳥は急に鋭い聲で、短く一聲啼いたと思ふと、忽ち机の上から飛び上つて、兩脚の爪を張りながら、いきなり弟子の顏へとびかゝりました。もしその時、弟子が袖をかざして、慌てゝ顏を隱さなかつたなら、きつともう疵の一つや二つは負はされて居りましたらう。あつと云ひながら、その袖を振つて、逐ひ拂はうとする所を、耳木兎は蓋にかかつて、嘴を鳴らしながら、又一突き――弟子は師匠の前も忘れて、立つては防ぎ、坐つては逐ひ、思はず狹い部屋の中を、あちらこちらと逃げ惑ひました。怪鳥《けてう》も元よりそれにつれて、高く低く翔りながら、隙さへあれば驀地《まつしぐら》に眼を目がけて飛んで來ます。その度にばさ/\と、凄じく翼を鳴すのが、落葉の匂だか、瀧の水|沫《しぶき》とも或は又猿酒の饐《す》ゑたいきれだか[#「いきれだか」は底本では「いきれがだ」]何やら怪しげなものゝけはひを誘つて、氣味の惡さと云つたらございません。さう云へばその弟子も、うす暗い油火の光さへ朧げな月明りかと思はれて、師匠の部屋がその儘遠い山奧の、妖氣に閉された谷のやうな、心細い氣がしたとか申したさうでございます。
 しかし弟子が恐しかつたのは、何も耳木兎に襲はれると云ふ、その事ばかりではございません。いや、それよりも一層身の毛がよだつたのは、師匠の良秀がその騷ぎを冷然と眺めながら、徐に紙を展べ筆を舐つて、女のやうな少年が異形な鳥に虐《さいな》まれる、物凄い有樣を寫してゐた事でございます。弟子は一目それを見ますと、忽ち云ひやうのない恐ろしさに脅《おびや》かされて、實際一時は師匠の爲に、殺されるのではないかとさへ、思つたと申して居りました。

       十一

 實際師匠に殺されると云ふ事も、全くないとは申されません。現にその晩わざわざ弟子を呼びよせたのでさへ、實は木兎を唆《けし》かけて、弟子の逃げまはる有樣を寫さうと云ふ魂膽らしかつたのでございます。でございますから、弟子
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