我をさせました時でさへ、その老人は手を合せて、大殿樣の牛にかけられた事を難有がつたと申す事でございます。
さやうな次第でございますから、大殿樣御一代の間には、後々までも語り草になりますやうな事が、隨分澤山にございました。大饗《おほみうけ》の引出物に白馬《あをうま》ばかりを三十頭、賜つたこともございますし、長良《ながら》の橋の橋柱《はしばしら》に御寵愛の童《わらべ》を立てた事もございますし、それから又華陀の術を傳へた震旦《しんたん》の僧に、御腿の瘡《もがさ》を御切らせになつた事もございますし、――一々數へ立てゝ居りましては、とても際限がございません。が、その數多い御逸事の中でも、今では御家の重寳になつて居ります地獄變の屏風の由來程、恐ろしい話はございますまい。日頃は物に御騷ぎにならない大殿樣でさへ、あの時ばかりは、流石に御驚きになつたやうでございました。まして御側に仕へてゐた私どもが、魂も消えるばかりに思つたのは、申し上げるまでもございません。中でもこの私なぞは、大殿樣にも二十年來御奉公申して居りましたが、それでさへ、あのやうな凄じい見物《みもの》に出遇つた事は、ついぞ又となかつた位でございます。
しかし、その御話を致しますには、豫め先づ、あの地獄變の屏風を描きました、良秀《よしひで》と申す畫師の事を申し上げて置く必要がございませう。
二
良秀と申しましたら、或は唯今でも猶、あの男の事を覺えていらつしやる方がございませう。その頃繪筆をとりましては、良秀の右に出るものは一人もあるまいと申された位、高名な繪師でございます。あの時の事がございました時には、彼是もう五十の阪に、手がとゞいて居りましたらうか。見た所は唯、背の低い、骨と皮ばかりに痩せた、意地の惡さうな老人でございました。それが大殿樣の御邸へ參ります時には、よく丁字染《ちやうじぞめ》の狩衣に揉烏帽子《もみゑぼし》をかけて居りましたが、人がらは至つて卑しい方で、何故か年よりらしくもなく、脣の目立つて赤いのが、その上に又氣味の惡い、如何にも獸めいた心もちを起させたものでございます。中にはあれは畫筆を舐《な》めるので紅がつくのだと[#「つくのだと」は底本では「つくのだとゝ」]申した人も居りましたが、どう云ふものでございませうか。尤もそれより口の惡い誰彼は、良秀の立居振舞《たちゐふるまひ》が猿のやう
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