れ》がある? 冗談《じようだん》云つちやあいけない。甲が乙に対して持つてゐる考へに、真偽《しんぎ》の別なんぞ、あり得ないぢやあないか。自分を知つてゐる者は、自分だけさ。もう一つあれば、自分を造つた、自分の上の実在だけさ。
 尤《もつと》も、その為に、甲と乙との間《あひだ》に、不和でも起れば、僕の責任だが、そんな事は、絶対にないと云つても、まあいいね。それだけの注意は、僕でも、ちやんとしてゐるのだから。
 第一僕のやうな真似《まね》をした人間は、昔から沢山《たくさん》ゐたらうと思ふね。それは、僕程、明白な自覚を以て、した奴《やつ》はないかも知れないさ。が、ゐた事は、確《たしか》にゐたよ。たとへばだね、僕が、実際、何か経験して、それを、僕の友だちに話したとする。君は、その時、厳密な意味で、僕が嘘をつかずに、ありのままを話せると思ふかね。よし、出来るにしても、むづかしい事には、ちがひなからう。さうすると、嘘の材料を提供すると云ふ事と、実際のそれを提供すると云ふ事との差が、一般に考へてゐるよりも、少なくなつてくる。それなら、昔から、出たらめを、小説家や詩人に話した奴が、沢山《たくさん》ゐたらうぢやあないか。出たらめと云ふと、人聞きが悪いがね。実は、立派《りつぱ》な想像の産物さ。
 まあ、そんなむづかしい顔をするのは、よし給へ。それよりその珈琲《コオヒイ》でものんで、一しよに出かけよう。さうして、あの電燈の下で、ベエトオフエンでも聞かう。ヘルデン・レエベンは、自動車の音に似てゐるから、好きだと云ふ男が、ジアン・クリストフの中に、出て来るぢやあないか。僕のベエトオフエンの聞き方も、あの男と同じかも知れない。事によると、人生と云ふものの観方《みかた》もね。……
[#地から1字上げ](大正五年八月十九日)



底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
   1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
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