め、てれまい事か、慌てて桝を馬子半天に渡しながら、何度も小鬢《こびん》へ手をやつて、
「これは又御早い御立ちで――ええ、何とぞ御腹立ちになりやせんやうに――又先程は、ええ、手前どもにもわざわざ御心づけを頂きまして――尤も好い塩梅《あんばい》に雪も晴れたやうでげすが――」
 などと訳のわからねえ事を並べやがるから、おれは可笑しさも可笑しくなつて、
「今下りしなに小耳に挾んだが、この胡麻の蠅は、評判の鼠小僧とか云ふ野郎ださうだの。」
「へい、さやうださうで、――おい、早く御草鞋《おわらぢ》を持つて来さつし。御笠に御合羽は此処にありと――どうも大した盗つ人ださうでげすな。――へい、唯今御勘定を致しやす。」
 番頭のやつはてれ隠しに、若え者を叱りながら、そこそこ帳場の格子《かうし》の中へ這入ると、仔細《しさい》らしく啣《くは》へ筆《ふで》で算盤をぱちぱちやり出しやがつた。おれはその間に草鞋をはいて、さて一服吸ひつけたが、見りやあの胡麻の蠅は、もう御神酒《おみき》がまはつたと見えて、小鬢《こびん》の禿まで赤くしながら、さすがにちつとは恥しいのか、なるべくおれの方を見無えやうに、側眼《わきめ》ばか
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