二つ三つ続けさまに色気の無え嚏《くしやみ》をしやがつたから、折角の睨みも台無しよ。それでも三人の野郎たちは、勝角力《かちずまふ》の名乗りでも聞きやしめえし、あの重吉の間抜野郎を煽ぎ立て無えばかりにして、
「おらもさうだらうと思つてゐた。三年前の大夕立に雷獣様を手捕りにした、横山宿の勘太と云つちや、泣く児も黙るおらだんべい。それをおらの前へ出て、びくともする容子《ようす》が見え無えだ。」
「違え無え。さう云やどこか眼の中に、すすどい所があるやうだ。」
「ほんによ、だからおれは始めから、何でもこの人は一つぱしの大泥坊になると云つてゐたわな。ほんによ。今夜は弘法《こうぼふ》にも筆の誤り、上手《じやうず》の手からも水が漏るす。漏つたが、これが漏ら無えで見ねえ。二階中の客は裸にされるぜ。」
 と繩こそ解かうとはし無えけれど、口々にちやほやしやがるのよ。すると又あの胡麻の蠅め、大方威張る事ぢや無え。
「かう、番頭さん、鼠小僧の御宿をしたのは、御前《おめえ》の家の旦那が運が好いのだ。さう云ふおれの口を干しちや、旅籠屋《はたごや》冥利《みやうり》が尽きるだらうぜ。桝《ます》で好いから五合ばかり、酒をつ
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