り使つてゐやがる。その見すぼらしい容子《ようす》を見ると、おれは今更のやうにあの野郎が可哀さうにもなつて来たから、
「おい、越後屋さん。いやさ、重吉さん。つまら無え冗談《じようだん》は云は無えものだ。御前《おめえ》が鼠小僧だなどと云ふと、人の好い田舎者は本当にするぜ。それぢや割が悪からうが。」
と親切づくに云つてやりや、あの阿呆の合天井《がふてんじやう》め、まだ芝居がし足り無えのか、
「何だと。おれが鼠小僧ぢや無え? 飛んだ御前は物知りだの。かう、旦那旦那と立ててゐりや――」
「これさ。そんな啖呵《たんか》が切りたけりや、此処にゐる馬子や若え衆が、丁度|御前《おめえ》にや好い相手だ。だがそれもさつきからぢや、もう大抵切り飽きたらう。第一御前が紛れも無え日本一の大泥坊なら、何もすき好んでべらべらと、為にもなら無え旧悪を並べ立てる筈が無えわな。これさ、まあ黙つて聞きねえと云ふ事に。そりや御前が何でも彼《か》でも、鼠小僧だと剛情を張りや、役人始め真実御前が鼠小僧だと思ふかも知れ無え。が、その時にや軽くて獄門、重くて磔《はりつけ》は逃れ無えぜ。それでも御前は鼠小僧か、――と云はれたら、どうする気だ。」
とかう一本突つこむと、あの意気地なしめ、見る見る内に唇の色まで変へやがつて、
「へい、何とも申し訳はござりやせん。実は鼠小僧でも何でも無え、唯の胡麻の蠅でござりやす。」
「さうだらう。さうなくつちや、なら無え筈だ。だが火つけや押込みまでさんざんしたと云ふからにや、御前《おめえ》も好い悪党だ。どうせ笠の台は飛ぶだらうぜ。」
と框《かまち》で煙管をはたきながら、大真面目におれがひやかすと、あいつは酔もさめたと見えて、又|水《みづ》つ洟《ぱな》をすすりこみの、泣かねえばかりの声を出して、
「何、あれもみんな嘘でござりやす。私《わつし》は旦那に申し上げた通り、越後屋重吉と云ふ小間物渡世で、年にきつと一二度はこの街道を上下《のぼりくだり》しやすから、善かれ悪しかれいろいろな噂を知つて居りやすので、つい口から出まかせに、何でも彼でもぼんぽんと――」
「おい、おい、御前は今胡麻の蠅だと云つたぢや無えか。胡麻の蠅が小間物を売るとは、御入国以来聞か無え事だの。」
「いえ、人様の物に手をかけたのは、今夜がまだ始めてでござりやす。この秋女房に逃げられやして、それから引き続き不手まはりな事ばかり多うござりやしたから、貧すりや鈍すると申す通り、ふとした一時の出来心から、飛んだ失礼な真似を致しやした。」
おれはいくらとんちきでも、兎に角胡麻の蠅だとは思つてゐたから、かう云ふ話を聞かされた時にや、煙管へ煙草をつめかけた儘、呆《あき》れて物も云へなかつた。が、おれは呆れただけだつたが、馬子半天と若え者とは、腹を立てたの立て無えのぢやねえ。おれが止めようと思ふ内に、いきなりあの野郎を引きずり倒しの、
「うぬ、よくも人を莫迦にしやがつたな。」
「その頬桁《ほほげた》を張りのめしてくれべい。」
と喚《わめ》き立てる声の下から、火吹竹が飛ぶ、桝が降るよ。可哀さうに越後屋重吉は、あんなに横つ面を脹らした上へ、頭まで瘤《こぶ》だらけになりやがつた。……
三
「話と云ふのはこれつきりよ。」
色の浅黒い、小肥りに肥つた男は、かう一部始終を語り終ると、今まで閑却されてゐた、膳の上の猪口《ちよく》を取り上げた。
向うに見える唐津様の海鼠壁《なまこかべ》には、何時か入日の光がささなくなつて、掘割に臨んだ一株の葉柳にも、そろそろ暮色が濃くなつて来た。と思ふと三縁山増上寺の鐘の音が、静に潮の匂のする欄外の空気を揺《ゆす》りながら、今更のやうに暦の秋を二人の客の胸にしみ渡らせた。風に動いてゐる伊予簾《いよすだれ》、御浜御殿の森の鴉《からす》の声、それから二人の間にある盃洗《はいせん》の水の冷たい光――女中の運ぶ燭台の火が、赤く火先《ほさき》を靡《なび》かせながら、梯子段の下から現はれるのも、もう程がないのに相違あるまい。
小弁慶の単衣《ひとへ》を着た男は、相手が猪口をとり上げたのを見ると、早速徳利の尻をおさへながら、
「いや、はや、飛んでも無えたはけがあるものだ。日本の盗人《ぬすつと》の守り本尊、私《わつち》の贔屓《ひいき》の鼠小僧を何だと思つてゐやがる。親分なら知ら無え事、私《わつち》だつたらその野郎をきつと張り倒してゐやしたぜ。」
「何もそれ程に業《ごふ》を煮やす事は無え。あんな間抜な野郎でも、鼠小僧と名乗つたばかりに、大きな面が出来たことを思や、鼠小僧もさぞ本望だらう。」
「だつとつて御前《おめえ》さん、そんな駈け出しの胡麻の蠅に鼠小僧の名をかたられちや――」
剳青《ほりもの》のある、小柄な男は、まだ云ひ争ひたい気色《けしき》を見せたが、色の浅黒い、唐桟
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