ということはない。第一の夫はお父さんと呼ばれ、僕等三人は同じように皆|叔父《おじ》さんと呼ばれている。
 しかしダアワも女である。まだ一度も過ちを犯さなかったという訣《わけ》ではない。もう今では二年ばかり前、珊瑚珠《さんごじゅ》などを売る商人の手代《てだい》と僕等を欺《あざむ》いていたこともある。それを発見した第一の夫はダアワの耳へはいらないように僕等に善後策を相談した。すると一番|憤《いきどお》ったのは第二の夫の伍長である。彼は直ちに二人の鼻を削《そ》ぎ落してしまえと主張し出した。温厚なる君はこの言葉の残酷《ざんこく》を咎《とが》めるのに違いない。が、鼻を削《そ》ぎ落すのはチベットの私刑の一つである。(たとえば文明国の新聞攻撃のように。)第三の夫の仏画師は、ただいかにも当惑したように涙を流しているばかりだった。僕はその時三人の夫に手代の鼻を削ぎ落した後《のち》、ダアワの処置は悔恨《かいこん》の情のいかんに任《まか》せるという提議をした。勿論誰もダアワの鼻を削ぎ落してしまいたいと思うものはない。第一の夫の行商人《ぎょうしょうにん》はたちまち僕の説に賛成した。仏画師は不幸なる手代《てだい》の鼻にも多少の憐憫《れんびん》を感じていたらしい。しかし伍長を怒《いか》らせないためにやはり僕に同意を表した。伍長も――伍長はしばらく考えた揚げ句、太い息を一つすると「子供のためもあるものだから」と、しぶしぶ僕等に従うことにした。
 僕等四人はその翌日、容易に手代を縛り上げた。それから伍長は僕等の代理に、僕の剃刀《かみそり》を受け取るなり、無造作《むぞうさ》に彼の鼻を削《そ》ぎ落した。手代は勿論悪態をついたり、伍長の手へ噛《か》みついたり、悲鳴を挙げたりしたのに違いない。しかし鼻を削ぎ落した後《のち》、血止めの薬をつけてやった行商人や僕などには泣いて感謝したことも事実である。
 賢明なる君はその後《ご》のこともおのずから推察出来るであろう。ダアワは爾来《じらい》貞淑《ていしゅく》に僕等四人を愛している。僕等も、――それは言わないでも好《い》い。現にきのうは伍長さえしみじみと僕にこう言っていた。――「今になって考えて見ると、ダアワの鼻を削ぎ落さなかったのは実際不幸中の幸福だったね。」
 ちょうど今|午睡《ごすい》から覚めたダアワは僕を散歩につれ出そうとしている。では万里《ばんり》の海彼《かいひ》にいる君の幸福を祈ると共に、一まずこの手紙も終ることにしよう。ラッサは今家々の庭に桃の花のまっ盛りである。きょうは幸い埃風《ほこりかぜ》も吹かない。僕等はこれから監獄《かんごく》の前へ、従兄妹同志《いとこどうし》結婚した不倫《ふりん》の男女の曝《さら》しものを見物に出かけるつもりである。……
[#地から1字上げ](大正十三年三月)



底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
   1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月5日公開
2004年3月7日修正
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