の顔に、――アルコオル中毒の老人の顔に退職官吏を直覚した。
「僕の父。」
彼の友だちは簡単にこうその老人を紹介した。老人は寧《むし》ろ傲然《ごうぜん》と信輔の挨拶《あいさつ》を聞き流した。それから奥へはいる前に、「どうぞ御ゆっくり。あすこに椅子《いす》もありますから」と言った。成程二脚の肘《ひじ》かけ椅子は黒ずんだ縁側《えんがわ》に並んでいた。が、それ等は腰の高い、赤いクッションの色の褪《さ》めた半世紀前の古椅子だった。信輔はこの二脚の椅子に全中流下層階級を感じた。同時に又彼の友だちも彼のように父を恥じているのを感じた。こう言う小事件も彼の記憶に苦しいほどはっきりと残っている。思想は今後も彼の心に雑多の陰影を与えるかも知れない。しかし彼は何よりも先に退職官吏の息子だった。下層階級の貧困よりもより虚偽に甘んじなければならぬ中流下層階級の貧困の生んだ人間だった。
四 学校
学校も亦信輔には薄暗い記憶ばかり残している。彼は大学に在学中、ノオトもとらずに出席した二三の講義を除きさえすれば、どう言う学校の授業にも興味を感じたことは一度もなかった。が、中学から高等学校、高等学校から大
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