にふよう》の花になげきながら、気のよわい家鴨《あひる》の羽にみだされて、人けのない廚《くりや》の下を静かに光りながら流れるのも、その重々しい水の色に言うべからざる温情を蔵していた。たとえ、両国橋、新大橋、永代橋《えいたいばし》と、河口に近づくに従って、川の水は、著しく暖潮の深藍色《しんらんしょく》を交えながら、騒音と煙塵《えんじん》とにみちた空気の下に、白くただれた目をぎらぎらとブリキのように反射して、石炭を積んだ達磨船《だるまぶね》や白ペンキのはげた古風な汽船をものうげにゆすぶっているにしても、自然の呼吸と人間の呼吸とが落ち合って、いつの間にか融合した都会の水の色の暖かさは、容易に消えてしまうものではない。
ことに日暮れ、川の上に立ちこめる水蒸気と、しだいに暗くなる夕空の薄明りとは、この大川の水をして、ほとんど、比喩《ひゆ》を絶した、微妙な色調を帯ばしめる。自分はひとり、渡し船の舷に肘《ひじ》をついて、もう靄《もや》のおりかけた、薄暮の川の水面《みのも》を、なんということもなく見渡しながら、その暗緑色の水のあなた、暗い家々の空に大きな赤い月の出を見て、思わず涙を流したのを、おそらく終世忘れることはできないであろう。
「すべての市《いち》は、その市に固有なにおいを持っている。フロレンスのにおいは、イリスの白い花とほこりと靄と古《いにしえ》の絵画のニスとのにおいである」(メレジュコウフスキイ)もし自分に「東京」のにおいを問う人があるならば、自分は大川の水のにおいと答えるのになんの躊躇《ちゅうちょ》もしないであろう。ひとりにおいのみではない。大川の水の色、大川の水のひびきは、我が愛する「東京」の色であり、声でなければならない。自分は大川あるがゆえに、「東京」を愛し、「東京」あるがゆえに、生活を愛するのである。
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その後「一の橋の渡し」の絶えたことをきいた。「御蔵橋の渡し」の廃《すた》れるのも間があるまい。
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底本:「羅生門・鼻・芋粥」角川文庫、角川書店
1950(昭和25)年10月20日初版発行
1985(昭和60)年11月10日改版38版発行
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月11日公開
2004年3月10日修正
青空文庫作成ファイル:
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