せんが、ちよいともの珍しかつたことも事実であります。
「落つる涙は」と云ふ気のしたのは、勿論こんなにならぬ前の東京を思ひ出した為であります。しかし大いに東京を惜しんだと云ふ訣《わけ》ぢやありません。僕はこんなにならぬ前の東京に余り愛惜《あいじやく》を持たずにゐました。と云つても僕を江戸趣味の徒《と》と速断《そくだん》してはいけません、僕は知りもせぬ江戸の昔に依依恋恋《いいれんれん》とする為には余りに散文的に出来てゐるのですから。僕の愛する東京は僕自身の見た東京、僕自身の歩いた東京なのです。銀座に柳の植《うわ》つてゐた、汁粉屋《しるこや》の代りにカフエの殖《ふ》えない、もつと一体に落ち着いてゐた、――あなたもきつと知つてゐるでせう、云はば麦稈帽《むぎわらばう》はかぶつてゐても、薄羽織を着てゐた東京なのです。その東京はもう消え失《う》せたのですから、同じ東京とは云ふものの、何処《どこ》か折り合へない感じを与へられてゐました。それが今|焦土《せうど》に変つたのです。僕はこの急劇な変化の前に俗悪な東京を思ひ出しました。が、俗悪な東京を惜しむ気もちは、――いや、丸の内の焼け跡を歩いた時には惜しむ気もちにならなかつたにしろ、今は惜しんでゐるのかも知れません。どうもその辺《へん》はぼんやりしてゐます。僕はもう俗悪な東京にいつか追憶の美しさをつけ加へてゐるやうな気がしますから。つまり一番確かなのは「落つる涙は」と云ふ気のしたことです。僕の東京を弔《とむら》ふ気もちもこの一語を出ないことになるのでせう。「落つる涙は」、――これだけではいけないでせうか?
何《なん》だかとりとめもない事ばかり書きましたが、どうか悪《あ》しからず御赦《おゆる》し下さい。僕はこの手紙を書いて了《しま》ふと、僕の家に充満した焼け出されの親戚《しんせき》故旧《こきう》と玄米の夕飯《ゆふめし》を食ふのです。それから堤燈《ちやうちん》に蝋燭《らふそく》をともして、夜警《やけい》の詰所《つめしよ》へ出かけるのです。以上。
六 震災の文芸に与ふる影響
大《だい》地震の災害は戦争や何かのやうに、必然に人間のうみ出したものではない。ただ大地《だいち》の動いた結果、火事が起つたり、人が死んだりしたのにすぎない。それだけに震災の我我作家に与へる影響はさほど根深くはないであらう。すくなくとも、作家の人生観を一変
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