のは室生のためにも僕のためにも兎《と》に角《かく》欣懐《きんくわい》といふ外《ほか》はない。
 この文中に室生といふのはもちろん室生犀星《むろふさいせい》君である。硯屏はたしか十五円だつた。

     三 ペン皿

 夏目《なつめ》先生はペン皿の代りに煎茶《せんちや》の茶箕《ちやみ》を使つてゐられた。僕は早速《さつそく》その智慧《ちゑ》を学んで、僕の家に伝はつた紫檀《したん》の茶箕をペン皿にした。(先生のペン皿は竹だつた。)これは香以《かうい》の妹婿《いもうとむこ》に当たる細木伊兵衛《さいきいへゑ》のつくつたものである。僕は鎌倉に住んでゐた頃、菅虎雄《すがとらを》先生に字を書いて頂きこの茶箕《ちやみ》の窪んだ中へ「本是山中人《もとこれさんちうのひと》 愛説山中話《とくことをあいすさんちうのわ》」と刻《きざ》ませることにした。茶箕の外《そと》には伊兵衛自身がいかにも素人《しろうと》の手に成つたらしい岩や水を刻《きざ》んでゐる。といふと風流に聞えるかも知れない。が、生来の無精《ぶしやう》のために埃《ほこり》やインクにまみれたまま、時には「本是山中人」さへ逆さまになつてゐるのである。

     四 火鉢

 小さい長火鉢《ながひばち》を買つたのもやはり僕の結婚した時である。これはたつた五円だつた。しかし抽斗《ひきだし》の具合《ぐあひ》などは値段よりも上等に出来上つてゐる。僕は当時鎌倉の辻《つじ》といふ処に住んでゐた。借家《しやくや》は或実業家の別荘の中に建つてゐたから、芭蕉《ばせう》が軒《のき》を遮《さへぎ》つたり、広い池が見渡せたり、存外《ぞんぐわい》居心地のよい住居《すまひ》だつた。が、八畳|二間《ふたま》、六畳|一間《ひとま》、四畳半二間、それに湯殿《ゆどの》や台所があつても、家賃は十八円を越えたことはなかつた。僕らはかういふ四畳半の一間にこの小さい長火鉢を据ゑ、太平無事《たいへいぶじ》に暮らしてゐた。あの借家《しやくや》も今では震災のために跡かたちもなくなつてゐることであらう。
[#地から1字上げ](大正十四年十二月)



底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
   1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
青空文庫作成ファイル
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