ス。が、彼の住まつてゐた荒野は必しも日の光のないものではなかつた。少くともクリスト自身の中にあつた、薄暗い荒野に比べて見れば……。

     11[#「11」は縦中横] ヨハネ

 バプテズマのヨハネはロマン主義を理解出来ないクリストだつた。彼の威厳は荒金《あらがね》のやうにそこにかがやかに残つてゐる。彼のクリストに及ばなかつたのも恐らくはその事実に存するであらう。クリストに洗礼を授けたヨハネは※[#「木+解」、第3水準1−86−22]《かし》の木のやうに逞《たくま》しかつた。しかし獄中にはひつたヨハネはもう枝や葉に漲《みなぎ》つてゐる※[#「木+解」、第3水準1−86−22]の木の力を失つてゐた。彼の最後の慟哭《どうこく》はクリストの最後の慟哭のやうにいつも我々を動かすのである。――
「クリストはお前だつたか、わたしだつたか?」
 ヨハネの最後の慟哭は――いや、必しも慟哭ばかりではない。太い※[#「木+解」、第3水準1−86−22]の木は枯かかつたものの、未だに外見だけは枝を張つてゐる。若《も》しこの気力さへなかつたとしたならば、二十何歳かのクリストは決して冷かにかう言はなかつたであらう。
「わたしの現にしてゐることをヨハネに話して聞かせるが善い。」

     12[#「12」は縦中横] 悪魔

 クリストは四十日の断食をした後、目《ま》のあたりに悪魔と問答した。我々も悪魔と問答をする為には何等かの断食[#「何等かの断食」に傍点]を必要としてゐる。我々の或ものはこの問答の中に悪魔の誘惑に負けるであらう。又或ものは誘惑に負けずに我々自身を守るであらう。しかし我々は一生を通じて悪魔と問答をしないこともあるのである。クリストは第一にパンを斥《しりぞ》けた。が、「パンのみでは[#「のみでは」に傍点]生きられない」と云ふ註釈を施すのを忘れなかつた。それから彼自身の力を恃《たの》めと云ふ悪魔の理想主義者的忠告を斥けた。しかし又「主たる汝の神を試みてはならぬ」と云ふ弁証法を用意してゐた。最後に「世界の国々とその栄華と」を斥けた。それはパンを斥けたのと或は同じことのやうに見えるであらう。しかしパンを斥けたのは現実的欲望を斥けたのに過ぎない。クリストはこの第三の答の中に我々自身の中に絶えることのない、あらゆる地上の夢を斥けたのである。この論理以上の論理的決闘はクリストの勝利に違
前へ 次へ
全17ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング