マグダラのマリアを愛した。彼等の詩的恋愛は未だに燕子花《かきつばた》のやうに匂やかである。クリストは度たび彼女を見ることに彼の寂しさを慰めたであらう。後代は、――或は後代の男子たちは彼等の詩的恋愛に冷淡だつた。(尤も芸術的主題以外には)しかし後代の女人たちはいつもこのマリアを嫉妬してゐた。
「なぜクリスト様は誰よりも先にお母さんのマリア様に再生をお示しにならなかつたのかしら?」
それは彼女等の洩らして来た、最も偽善的な歎息だつた。
16[#「16」は縦中横] 奇蹟
クリストは時々奇蹟を行つた。が、それは彼自身には一つの比喩を作るよりも容易だつた。彼はその為にも[#「にも」に傍点]奇蹟に対する嫌悪の情を抱いてゐた。その為にも[#「にも」に傍点]――キリストの使命を感じてゐたのは彼の道を教へることだつた。彼の奇蹟を行ふことは後代にルツソオの吼《たけ》り立つた通り、彼の道を教へるのには不便を与へるのに違ひなかつた。しかし彼の「小羊たち」はいつも奇蹟を望んでゐた。クリストも亦三度に一度はこの願に従はずにはゐられなかつた。彼の人間的な、余りに人間的な性格はかう云ふ一面にも露《あら》はれてゐる。が、クリストは奇蹟を行ふ度に必ず責任を回避してゐた。
「お前の信仰はお前を瘉《いや》した。」
しかしそれは同時に又科学的真理にも違ひなかつた。クリストは又或時はやむを得ず奇蹟を行つた為に、――或|長病《ながわづらひ》に苦しんだ女の彼の衣《ころも》にさはつた為に彼の力の脱けるのを感じた。彼の奇蹟を行ふことにいつも多少ためらつたのはかう云ふ実感にも明らかである。クリストは、後代のクリスト教徒は勿論、彼の十二人の弟子たちよりもはるかに鋭い理智主義者だつた。
17[#「17」は縦中横] 背徳者
クリストの母、美しいマリアはクリストには必しも母ではなかつた。彼の最も愛したものは彼の道に従ふものだつた。クリストは又情熱に燃え立つたまま、大勢の人々の集つた前に大胆《だいたん》にもかう云ふ彼の気もちを言ひ放すことさへ憚《はばか》らなかつた。マリアは定めし戸の外に彼の言葉を聞きながら、悄然と立つてゐたことであらう。我々は我々自身の中にマリアの苦しみを感じてゐる。たとひ我々自身の中にクリストの情熱を感じてゐるとしても、――しかしクリスト自身も亦時々はマリアを憐んだであら
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