は女の裸体画《らたいぐわ》だから許可することは出来ない。もう一つの絵は、男の裸体画だから表紙にしても可《い》い、と云ふことになつた。所が、その絵は両方とも女の裸体画で、一方を男の裸体画と思つたのは祝福すべき役人の誤りだつた。
 まださう云ふ皮相《ひさう》の問題ばかりでなく、男女関係の場合などでも、男は何時《いつ》も誘惑《いうわく》するもの、女は何時も誘惑されるものと、世の中全体は考へ易い。が、実際は存外《ぞんぐわい》、女の誘惑する場合も……言葉で誘惑しないまでも、素振《そぶり》で誘惑する場合が多さうである。
 かう云ふ点は、現在、男のやつてゐる仕事を女もやるやうになつたらば、男の寃罪《ゑんざい》を晴すことが出来るかも知れない。私は、こんな意味で女が世の中の仕事に関係するのも悪くないと思つてゐる。つまり、女は女自身、男と生理的及び心理的に違つてゐる点を強調することによつてのみ、世の中の仕事に加はる資格が出来ると思ふ。
 もしさうでなく、男も女も違はないと云ふ点のみを強調したらそれは唯、在来、男の手に行はれた仕事が、一部分、男のやうな女の手に行はれると云ふのに過ぎないから、結局、世の中の進
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