つてゐる。馬琴は或は信じようと努力してはゐたかも知れない。が饗庭篁村《あへばくわうそん》氏の編した馬琴日記抄|等《とう》によれば、馬琴自身の矛盾には馬琴も気づかずにはゐなかつた筈であらう。森鴎外《もりおうぐわい》先生は確か馬琴日記抄の跋《ばつ》に「馬琴よ、君は幸福だつた。君はまだ先王《せんわう》の道に信頼することが出来た」とか何《なん》とか書かれたやうに記憶してゐる。けれども僕は馬琴も亦《また》先王の道などを信じてゐなかつたと思つてゐる。
 若し※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]《うそ》と云ふことから言へば、彼等の作品は※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]《うそ》ばかりである。彼等は彼等自身と共に世間を欺《あざむ》いてゐたと言つても好《よ》い。しかし善や美に対する欣求《ごんぐ》は彼等の作品に残つてゐる。殊に彼等の生きてゐた時代は仏蘭西《フランス》のロココ王朝と共に実生活の隅隅《くまぐま》にさへ美意識の行き渡つた時代だつた。従つて美しいと云ふことから言へば、彼等の作品に溢《あふ》れた空気は如何《いか》にも美しい(勿論多少|頽廃《たいはい》した)ものであらう。
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