らしい。その癖病気の重いのは雪さんよりもむしろ清太郎だった。
「あたしはそんな意気地《いくじ》なしに育てた覚えはないんだがね。」
女隠居は離れへ来る度に(清太郎は離れに床《とこ》に就《つ》いていた。)いつもつけつけと口小言《くちこごと》を言った。が、二十一になる清太郎は滅多《めった》に口答えもしたこともない。ただ仰向《あおむ》けになったまま、たいていはじっと目を閉じている。そのまた顔も透《す》きとおるように白い。Nさんは氷嚢《ひょうのう》を取り換えながら、時々その頬《ほお》のあたりに庭一ぱいの木賊《とくさ》の影が映《うつ》るように感じたと云うことである。
ある晩の十時|前《まえ》に、Nさんはこの家《うち》から二三町離れた、灯《ひ》の多い町へ氷を買いに行った。その帰りに人通りの少ない屋敷続きの登り坂へかかると、誰か一人《ひとり》ぶらさがるように後ろからNさんに抱《だ》きついたものがある。Nさんは勿論びっくりした。が、その上にも驚いたことには思わずたじたじとなりながら、肩越しに相手をふり返ると、闇の中にもちらりと見えた顔が清太郎と少しも変らないことである。いや、変らないのは顔ばかりではない。五分刈《ごぶが》りに刈った頭でも、紺飛白《こんがすり》らしい着物でも、ほとんど清太郎とそっくりである。しかしおとといも喀血《かっけつ》した患者《かんじゃ》の清太郎が出て来るはずはない。況《いわん》やそんな真似《まね》をしたりするはずはない。
「姐《ねえ》さん、お金をおくれよう。」
その少年はやはり抱《だ》きついたまま、甘えるようにこう声をかけた。その声もまた不思議にも清太郎の声ではないかと思うくらいである。気丈《きじょう》なNさんは左の手にしっかり相手の手を抑えながら、「何です、失礼な。あたしはこの屋敷のものですから、そんなことをおしなさると、門番の爺《じい》やさんを呼びますよ」と言った。
けれども相手は不相変《あいかわらず》「お金をおくれよう」を繰り返している。Nさんはじりじり引き戻されながら、もう一度この少年をふり返った。今度もまた相手の目鼻立ちは確かに「はにかみや」の清太郎である。Nさんは急に無気味《ぶきみ》になり、抑えていた手を緩《ゆる》めずに出来るだけ大きい声を出した。
「爺やさん、来て下さい!」
相手はNさんの声と一しょに、抑えられていた手を振りもぎろうとした。
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