月は庭の隅にある、痩せがれた檜《ひのき》の梢《こずゑ》にあつた。従兄はその檜の下に立つて、うす明い夜空を眺めてゐた。「大へん草が生えてゐるのね。」――信子は荒れた庭を気味悪さうに、怯《お》づ怯づ彼のゐる方へ歩み寄つた。が、彼はやはり空を見ながら、「十三夜かな。」と呟《つぶや》いただけであつた。
 暫く沈黙が続いた後、俊吉は静に眼を返して、「鶏小屋《とりごや》へ行つて見ようか。」と云つた。信子は黙つて頷《うなづ》いた。鶏小屋は丁度檜とは反対の庭の隅にあつた。二人は肩を並べながら、ゆつくり其処まで歩いて行つた。しかし蓆囲《むしろがこ》ひの内には、唯鶏の匂のする、朧《おぼろ》げな光と影ばかりがあつた。俊吉はその小屋を覗いて見て、殆《ほとんど》独り言かと思ふやうに、「寝てゐる。」と彼女に囁《ささや》いた。「玉子を人に取られた鶏が。」――信子は草の中に佇《たたず》んだ儘、さう考へずにはゐられなかつた。……
 二人が庭から返つて来ると、照子は夫の机の前に、ぼんやり電燈を眺めてゐた。青い横ばひがたつた一つ、笠に這つてゐる電燈を。

       四

 翌朝俊吉は一張羅の背広を着て、食後|※[#「勹<夕
前へ 次へ
全25ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング