5−50]《せきたい》翁をしてあの臼《うす》を連ねたような石がきを見せしめたら、はたしてなんと言うであろう。
自分は松江に対して同情と反感と二つながら感じている。ただ、幸いにしてこの市《まち》の川の水は、いっさいの反感に打勝つほど、強い愛惜《あいじゃく》を自分の心に喚起してくれるのである。松江の川についてはまた、この稿を次ぐ機会を待って語ろうと思う。
二
自分が前に推賞した橋梁と天主閣とは二つながら過去の産物である。しかし自分がこれらのものを愛好するゆえんはけっして単にそれが過去に属するからのみではない。いわゆる「寂《さ》び」というような偶然的な属性を除き去っても、なおこれらのものがその芸術的価値において、没却すべからざる特質を有しているからである。このゆえに自分はひとり天主閣にとどまらず松江の市内に散在する多くの神社と梵刹《ぼんさつ》とを愛するとともに(ことに月照寺における松平家の廟所《びょうしょ》と天倫寺の禅院とは最も自分の興味をひいたものであった)新たな建築物の増加をもけっして忌憚《きたん》しようとは思っていない。不幸にして自分は城山《じょうざん》の公園に建てられた光栄ある興雲閣に対しては索莫《さくばく》たる嫌悪《けんお》の情以外になにものも感ずることはできないが、農工銀行をはじめ、二、三の新たなる建築物に対してはむしろその効果《メリット》において認むべきものが少くないと思っている。
全国の都市の多くはことごとくその発達の規範を東京ないし大阪に求めている。しかし東京ないし大阪のごとくになるということは、必ずしもこれらの都市が踏んだと同一な発達の径路によるということではない。否むしろ先達《せんだつ》たる大都市が十年にして達しえた水準へ五年にして達しうるのが後進たる小都市の特権である。東京市民が現に腐心しつつあるものは、しばしば外国の旅客に嗤笑《ししょう》せらるる小人《ピグミイ》の銅像を建設することでもない。ペンキと電灯とをもって広告と称する下等なる装飾を試みることでもない。ただ道路の整理と建築の改善とそして街樹の養成とである。自分はこの点において、松江市は他のいずれの都市よりもすぐれた便宜を持っていはしないかと思う。堀割に沿うて造られた街衢《がいく》の井然《せいぜん》たることは、松江へはいるとともにまず自分を驚かしたものの一つである。しか
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