サれらの人々は阿呆《あほう》ではない。が、阿呆以上の阿呆である。それらの人々を救うものはただそれらの人々以外の人々に変わることであろう。したがってとうてい救われる道はない。

     九 声

 大勢の人々の叫んでいる中に一人の話している声は決して聞こえないと思われるであろう。が、事実上必ず聞こえるのである。わたしたちの心の中に一すじの炎の残っている限りは。――もっとも時々彼の声は後代《こうだい》のマイクロフォンを待つかもしれない。

     十 言葉

 わたしたちはわたしたちの気もちを容易に他人に伝えることはできない。それはただ伝えられる他人しだいによるのである。「拈華微笑《ねんげみしょう》」の昔はもちろん、百数十行に亙《わた》る新聞記事さえ他人の気もちと応じない時にはとうてい合点《がてん》のできるものではない。「彼」の言葉を理解するものはいつも「第二の彼」であろう。しかしその「彼」もまた必ず植物のように生長している。したがってある時代の彼の言葉は第二のある時代の「彼」以外に理解することはできないであろう。いや、ある時代の彼自身さえ他の時代の彼自身には他人のように見えるかもしれない。が、幸いにも「第二の彼」は「彼」の言葉を理解したと信じている。
[#地付き](昭和二年七月)
[#地付き]〔遺稿〕



底本:「或阿呆の一生・侏儒の言葉」角川文庫、角川書店
   1969(昭和44)年9月30日初版発行
   1984(昭和59)年9月30日改版22刷発行
入力:j.utiyama
校正:菅野朋子
1999年5月15日公開
2004年1月13日修正
青空文庫作成ファイル:
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