―すなわちわたしたちの精神的飛躍の空中に捉《とら》えた花束ばかりである。L'home est rien と言わないにもせよ、わたしたちは「人として」は格別大差のあるものではない。「人として」のボオドレエルはあらゆる精神病院に充《み》ち満ちている。ただ「悪の華《はな》」や「小さい散文詩」は一度も彼らの手に成ったことはない。
五 2+2=4
2+2=4ということは真実である。しかし事実上|+《プラス》の間に無数の因子のあることを認めなければならぬ。すなわちあらゆる問題はこの+のうちに含まれている。
六 天国
もし天国を造り得るとすれば、それはただ地上にだけである。この天国はもちろん茨《いばら》の中に薔薇《ばら》の花の咲いた天国であろう。そこにはまた「あきらめ」と称する絶望に安んじた人々のほかには犬ばかりたくさん歩いている。もっとも犬になることも悪いことではない。
七 懺悔《ざんげ》
わたしたちはあらゆる懺悔《ざんげ》にわたしたちの心を動かすであろう。が、あらゆる懺悔の形式は、「わたしのした[#「した」に傍点]ことをしないように。わたしの言う[#「言う」に傍点]ことをするように」である。
八 又ある人びと
わたしはまたある人々を知っている。それらの人々は何ごとにも容易に飽《あ》くことを知らない。一人の女人《にょにん》や一つの想念《イデエ》や一本の石竹《せきちく》や一きれのパンをいやが上にも得ようとしている。したがってそれらの人びとほどぜいたくに暮らしているものはない。同時にまたそれらの人びとほどみじめに暮らしているものはない。それらの人々はいつの間にかいろいろのものの奴隷になっている。したがって他人には天国を与えても、――あるいは天国に至る途《みち》を与えても、天国はついにそれらの人々自身のものになることはできない。「多欲喪身《たよくそうしん》」という言葉はそれらの人々に与えられるであろう。孔雀《くじゃく》の羽根の扇や人乳を飲んだ豚《ぶた》の仔《こ》の料理さえそれらの人びとにはそれだけでは決して満足を与えないのである。それらの人々は必然に悲しみや苦しみさえ求めずにはいられない。(求めずとも与えられる当然の悲しみや苦しみのほかにも)そこにそれらの人々を他の人々から截《き》り離す一すじの溝《みぞ》は掘られている。
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