をなしつつ、圜揚《まるあ》げ(圜《まる》トハ鳥ノ肝《きも》ヲ云《いう》)の小刀《さすが》を隻手《せきしゅ》に引抜き、重玄を刺さんと飛びかかりしに、上様《うえさま》には柳瀬《やなせ》、何をすると御意《ぎょい》あり。清八はこの御意をも恐れず、御鷹《おたか》の獲物はかかり次第、圜《まる》を揚げねばなりませぬと、なおも重玄を刺《さ》さんとせし所へ、上様にはたちまち震怒《しんど》し給い、筒《つつ》を持てと御意あるや否や、日頃|御鍛錬《ごたんれん》の御手銃《おてづつ》にて、即座に清八を射殺し給う。」
 第二に治修《はるなが》は三右衛門《さんえもん》へ、ふだんから特に目をかけている。嘗《かつて》乱心者《らんしんもの》を取り抑えた際に、三右衛門ほか一人《ひとり》の侍《さむらい》は二人《ふたり》とも額に傷を受けた。しかも一人は眉間《みけん》のあたりを、三右衛門は左の横鬢《よこびん》を紫色に腫《は》れ上《あが》らせたのである。治修はこの二人を召し、神妙の至りと云う褒美《ほうび》を与えた。それから「どうじゃ、痛むか?」と尋ねた。すると一人は「難有《ありがた》い仕合せ、幸い傷は痛みませぬ」と答えた。が、三右衛門は苦《にが》にがしそうに、「かほどの傷も痛まなければ、活《い》きているとは申されませぬ」と答えた。爾来《じらい》治修は三右衛門を正直者だと思っている。あの男はとにかく巧言《こうげん》は云わぬ、頼もしいやつだと思っている。
 こう云う治修は今度のことも、自身こう云う三右衛門に仔細《しさい》を尋ねて見るよりほかに近途《ちかみち》はないと信じていた。
 仰せを蒙《こうむ》った三右衛門は恐る恐る御前《ごぜん》へ伺候《しこう》した。しかし悪びれた気色《けしき》などは見えない。色の浅黒い、筋肉の引き緊《しま》った、多少|疳癖《かんぺき》のあるらしい顔には決心の影さえ仄《ほの》めいている。治修はまずこう尋ねた。
「三右衛門、数馬《かずま》はそちに闇打ちをしかけたそうじゃな。すると何かそちに対し、意趣《いしゅ》を含んで居ったものと見える。何に意趣を含んだのじゃ?」
「何に意趣を含みましたか、しかとしたことはわかりませぬ。」
 治修はちょいと考えた後《のち》、念を押すように尋ね直した。
「何もそちには覚えはないか?」
「覚えと申すほどのことはございませぬ。しかしあるいはああ云うことを怨《うら》まれたかと思うことはございまする。」
「何じゃ、それは?」
「四日ほど前のことでございまする。御指南番《ごしなんばん》山本小左衛門殿《やまもとこざえもんどの》の道場に納会《のうかい》の試合がございました。その節わたくしは小左衛門殿の代りに行司《ぎょうじ》の役を勤めました。もっとも目録《もくろく》以下のものの勝負だけを見届けたのでございまする。数馬の試合を致した時にも、行司はやはりわたくしでございました。」
「数馬の相手は誰がなったな?」
「御側役《おそばやく》平田喜太夫殿《ひらたきだいふどの》の総領《そうりょう》、多門《たもん》と申すものでございました。」
「その試合に数馬《かずま》は負けたのじゃな?」
「さようでございまする。多門《たもん》は小手《こて》を一本に面《めん》を二本とりました。数馬は一本もとらずにしまいました。つまり三本勝負の上には見苦《みぐる》しい負けかたを致したのでございまする。それゆえあるいは行司《ぎょうじ》のわたくしに意趣を含んだかもわかりませぬ。」
「すると数馬はそちの行司に依怙《えこ》があると思うたのじゃな?」
「さようでございまする。わたくしは依怙は致しませぬ。依怙を致す訣《わけ》もございませぬ。しかし数馬は依怙のあるように疑ったかとも思いまする。」
「日頃はどうじゃ? そちは何か数馬を相手に口論でも致した覚えはないか?」
「口論などを致したことはございませぬ。ただ………」
 三右衛門はちょっと云い澱《よど》んだ。もっとも云おうか云うまいかとためらっている気色《けしき》とは見えない。一応《いちおう》云うことの順序か何か考えているらしい面持《おもも》ちである。治修《はるなが》は顔色《がんしょく》を和《やわら》げたまま、静かに三右衛門の話し出すのを待った。三右衛門は間《ま》もなく話し出した。
「ただこう云うことがございました。試合の前日でございまする。数馬は突然わたくしに先刻の無礼を詫《わ》びました。しかし先刻の無礼と申すのは一体何のことなのか、とんとわからぬのでございまする。また何かと尋ねて見ても、数馬は苦笑《にがわら》いを致すよりほかに返事を致さぬのでございまする。わたくしはやむを得ませぬゆえ、無礼をされた覚えもなければ詫びられる覚えもなおさらないと、こう数馬に答えました。すると数馬も得心《とくしん》したように、では思違いだったかも知れぬ、どうか
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