にすれば、一人を繊弱《せんじゃく》な男にするのにもやはり微笑《ほほえ》まずにはいられません。現にK君やS君は二人とも肥ってはいないのです。のみならず二人とも傷《きずつ》き易い神経を持って生まれているのです。が、K君はS君のように容易に弱みを見せません。実際また弱みを見せない修業《しゅうぎょう》を積もうともしているらしいのです。
 K君、S君、M子さん親子、――僕のつき合っているのはこれだけです。もっともつき合いと言ったにしろ、ただ一しょに散歩したり話したりするほかはありません。何しろここには温泉宿のほかに(それもたった二軒だけです。)カッフェ一つないのです。僕はこう云う寂しさを少しも不足には思っていません。しかしK君やS君は時々「我等の都会に対する郷愁」と云うものを感じています。M子さん親子も、――M子さん親子の場合は複雑です。M子さん親子は貴族主義者です。従ってこう云う山の中に満足している訣《わけ》はありません。しかしその不満の中に満足を感じているのです。少くともかれこれ一月《ひとつき》だけの満足を感じているのです。
 僕の部屋は二階の隅にあります。僕はこの部屋の隅の机に向かい、午前だけはちゃんと勉強します。午後はトタン屋根に日が当るものですから、その烈しい火照《ほて》りだけでもとうてい本などは読めません。では何をするかと言えば、K君やS君に来て貰《もら》ってトランプや将棊《しょうぎ》に閑《ひま》をつぶしたり、組み立て細工《ざいく》の木枕《きまくら》をして(これはここの名産です。)昼寝をしたりするだけです。五六日前の午後のことです。僕はやはり木枕をしたまま、厚い渋紙の表紙をかけた「大久保武蔵鐙《おおくぼむさしあぶみ》」を読んでいました。するとそこへ襖《ふすま》をあけていきなり顔を出したのは下の部屋にいるM子さんです。僕はちょっと狼狽《ろうばい》し、莫迦莫迦《ばかばか》しいほどちゃんと坐り直しました。
「あら、皆さんはいらっしゃいませんの?」
「ええ。きょうは誰も、……まあ、どうかおはいりなさい。」
 M子さんは襖《ふすま》をあけたまま、僕の部屋の縁先《えんさき》に佇《たたず》みました。
「この部屋はお暑うございますわね。」
 逆光線になったM子さんの姿は耳だけ真紅《しんく》に透《す》いて見えます。僕は何か義務に近いものを感じ、M子さんの隣に立つことにしました。

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