――いや、実際、意外でした。
――何しろ、手のつくせる丈《だけ》は、つくした上なのでございますから、あきらめるより外は、ございませんが、それでも、あれまでに致して見ますと、何かにつけて、愚痴が出ていけませんものでございます。
こんな対話を交換してゐる間に、先生は、意外な事実に気がついた。それは、この婦人の態度なり、挙措《きよそ》なりが、少しも自分の息子の死を、語つてゐるらしくないと云ふ事である。眼には、涙もたまつてゐない。声も、平生の通りである。その上、口角には、微笑さへ浮んでゐる。これで、話を聞かずに、外貌だけ見てゐるとしたら、誰でも、この婦人は、家常茶飯事を語つてゐるとしか、思はなかつたのに相違ない。――先生には、これが不思議であつた。
――昔、先生が、伯林《ベルリン》に留学してゐた時分の事である。今のカイゼルのおとうさんに当る、ウイルヘルム第一世が、崩御された。先生は、この訃音《ふいん》を行きつけの珈琲店《コオヒイてん》で耳にしたが、元より一通りの感銘しかうけやうはない。そこで、何時ものやうに、元気のいい顔をして、杖を脇にはさみながら、下宿へ帰つて来ると、下宿の子供が二人、扉《ドア》をあけるや否や、両方から先生の頸《くび》に抱きついて、一度にわつと泣き出した。一人は、茶色のジヤケツトを着た、十二になる女の子で、一人は、紺の短いズボンをはいた、九つになる男の子である。子煩悩な先生は、訳がわからないので、二人の明い色をした髪の毛を撫でながら、しきりに「どうした。どうした。」と云つて慰めた。が、子供は中々泣きやまない。さうして、洟《はな》をすすり上げながら、こんな事を云ふ。
――おぢいさまの陛下が、おなくなりなすつたのですつて。
先生は、一国の元首の死が、子供にまで、これ程悲まれるのを、不思議に思つた。独り皇室と人民との関係と云ふやうな問題を、考へさせられたばかりではない。西洋へ来て以来、何度も先生の視聴を動かした、西洋人の衝動的な感情の表白が、今更のやうに、日本人たり、武士道の信者たる先生を、驚かしたのである。その時の怪訝《くわいが》と同情とを一つにしたやうな心もちは、未《いまだ》に忘れようとしても、忘れる事が出来ない。――先生は、今も丁度、その位な程度で、逆に、この婦人の泣かないのを、不思議に思つてゐるのである。
が、第一の発見の後には、間もなく、第二の発見が次いで起つた。――
丁度、主客の話題が、なくなつた青年の追懐から、その日常生活のデイテイルに及んで、更に又、もとの追懐へ戻らうとしてゐた時である。何かの拍子で、朝鮮団扇が、先生の手をすべつて、ぱたりと寄木《モザイク》の床の上に落ちた。会話は無論寸刻の断続を許さない程、切迫してゐる訳ではない。そこで、先生は、半身を椅子から前へのり出しながら、下を向いて、床の方へ手をのばした。団扇は、小さなテエブルの下に――上靴にかくれた婦人の白足袋の側に落ちてゐる。
その時、先生の眼には、偶然、婦人の膝が見えた。膝の上には、手巾を持つた手が、のつてゐる。勿論これだけでは、発見でも何でもない。が、同時に、先生は、婦人の手が、はげしく、ふるへてゐるのに気がついた。ふるへながら、それが感情の激動を強ひて抑へようとするせゐか、膝の上の手巾を、両手で裂かないばかりに緊《かた》く、握つてゐるのに気がついた。さうして、最後に、皺くちやになつた絹の手巾が、しなやかな指の間で、さながら微風にでもふかれてゐるやうに、繍《ぬひとり》のある縁《ふち》を動かしてゐるのに気がついた。――婦人は、顔でこそ笑つてゐたが、実はさつきから、全身で泣いてゐたのである。
団扇を拾つて、顔をあげた時に、先生の顔には、今までにない表情があつた。見てはならないものを見たと云ふ敬虔《けいけん》な心もちと、さう云ふ心もちの意識から来る或満足とが、多少の芝居気で、誇張されたやうな、甚《はなはだ》、複雑な表情である。
――いや、御心痛は、私のやうな子供のない者にも、よくわかります。
先生は、眩《まぶ》しいものでも見るやうに、稍《やや》、大仰《おほぎやう》に、頸を反らせながら、低い、感情の籠つた声でかう云つた。
――有難うございます。が、今更、何と申しましても、かへらない事でございますから……
婦人は、心もち頭を下げた。晴々した顔には、依然として、ゆたかな微笑が、たたへてゐる。――
* * *
それから、二時間の後である。先生は、湯にはいつて、晩飯をすませて、食後の桜実《さくらんばう》をつまんで、それから又、楽々と、ヴエランダの籐椅子に腰を下した。
長い夏の夕暮は、何時までも薄明りをただよはせて、硝子戸《ガラスど》をあけはなした広いヴエランダは、まだ容易に、暮れさうなけはひもない。先生は、そのかすかな光の中で、さつきから、左の膝を右の膝の上へのせて、頭を籐椅子の背にもたせながら、ぼんやり岐阜提灯の赤い房を眺めてゐる。例のストリントベルクも、手にはとつて見たものの、まだ一頁も読まないらしい。それも、その筈である。――先生の頭の中は、西山篤子夫人のけなげな振舞で、未だに一ぱいになつてゐた。
先生は、飯を食ひながら、奥さんに、その一部始終を、話して聞かせた。さうして、それを、日本の女の武士道だと賞讃した。日本と日本人とを愛する奥さんが、この話を聞いて、同情しない筈はない。先生は、奥さんに熱心な聴き手を見出した事を、満足に思つた。奥さんと、さつきの婦人と、それから岐阜提灯と――今では、この三つが、或倫理的な背景を持つて、先生の意識に浮んで来る。
先生はどの位、長い間、かう云ふ幸福な回想に耽《ふけ》つてゐたか、わからない。が、その中に、ふと或雑誌から、寄稿を依頼されてゐた事に気がついた。その雑誌では「現代の青年に与ふる書」と云ふ題で、四方の大家に、一般道徳上の意見を徴してゐたのである。今日の事件を材料にして、早速、所感を書いて送る事にしよう。――かう思つて、先生は、ちよいと頭を掻いた。
掻いた手は、本を持つてゐた手である。先生は、今まで閑却されてゐた本に、気がついて、さつき入れて置いた名刺を印に、読みかけた頁を、開いて見た。丁度、その時、小間使が来て、頭の上の岐阜提灯をともしたので、細《こまか》い活字も、さほど読むのに煩はしくない。先生は、別に読む気もなく、漫然と眼を頁の上に落した。ストリントベルクは云ふ。――
――私の若い時分、人はハイベルク夫人の、多分|巴里《パリ》から出たものらしい、手巾のことを話した。それは、顔は微笑してゐながら、手は手巾を二つに裂くと云ふ、二重の演技であつた、それを我等は今、臭味《メツツヘン》と名づける。……
先生は、本を膝の上に置いた。開いたまま置いたので、西山篤子と云ふ名刺が、まだ頁のまん中にのつてゐる。が、先生の心にあるものは、もうあの婦人ではない。さうかと云つて、奥さんでもなければ日本の文明でもない。それらの平穏な調和を破らうとする、得体の知れない何物かである。ストリントベルクの指弾した演出法と、実践道徳上の問題とは、勿論ちがふ。が、今、読んだ所からうけとつた暗示の中には、先生の、湯上りののんびりした心もちを、擾《みだ》さうとする何物かがある。武士道と、さうしてその型《マニイル》と――
先生は、不快さうに二三度頭を振つて、それから又上眼を使ひながら、ぢつと、秋草を描いた岐阜提灯の明い灯を眺め始めた。……
[#地から2字上げ](大正五年九月)
底本:「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房
1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行
入力:j.utiyama
校正:柳沢成雄
1998年9月14日公開
2004年3月16日修正
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