現したものと見て、然る可きであらう。
先生は、本を下に置く度に、奥さんと岐阜提灯と、さうして、その提灯によつて代表される日本の文明とを思つた。先生の信ずる所によると、日本の文明は、最近五十年間に、物質的方面では、可成《かなり》顕著な進歩を示してゐる。が、精神的には、殆《ほとんど》、これと云ふ程の進歩も認める事が出来ない。否、寧、或意味では、堕落してゐる。では、現代に於ける思想家の急務として、この堕落を救済する途《みち》を講ずるのには、どうしたらいいのであらうか。先生は、これを日本固有の武士道による外はないと論断した。武士道なるものは、決して偏狭なる島国民の道徳を以て、目せらるべきものでない。却《かへつ》てその中には、欧米各国の基督教的精神と、一致すべきものさへある。この武士道によつて、現代日本の思潮に帰趣《きしゆ》を知らしめる事が出来るならば、それは、独り日本の精神的文明に貢献する所があるばかりではない。延《ひ》いては、欧米各国民と日本国民との相互の理解を容易にすると云ふ利益がある。或は国際間の平和も、これから促進されると云ふ事があるであらう。――先生は、日頃から、この意味に於て、自ら東西両洋の間に横はる橋梁《けうりやう》にならうと思つてゐる。かう云ふ先生にとつて、奥さんと岐阜提灯と、その提灯によつて代表される日本の文明とが、或調和を保つて、意識に上るのは決して不快な事ではない。
所が、何度かこんな満足を繰返してゐる中に、先生は、追々、読んでゐる中でも、思量がストリントベルクとは、縁の遠くなるのに気がついた。そこで、ちよいと、忌々《いまいま》しさうに頭を振つて、それから又丹念に、眼を細《こまか》い活字の上へ曝《さら》しはじめた。すると、丁度、今読みかけた所にこんな事が書いてある。
――俳優が最も普通なる感情に対して、或一つの恰好な表現法を発見し、この方法によつて成功を贏《か》ち得る時、彼は時宜《じぎ》に適すると適せざるとを問はず、一面にはそれが楽である所から、又一面には、それによつて成功する所から、動《やや》もすればこの手段に赴かんとする。しかし夫《それ》が即ち型《マニイル》なのである。……
先生は、由来、芸術――殊に演劇とは、風馬牛《ふうばぎう》の間柄である。日本の芝居でさへ、この年まで何度と数へる程しか、見た事がない。――嘗《かつ》て或学生の書いた小説の
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