第二の発見が次いで起つた。――
丁度、主客の話題が、なくなつた青年の追懐から、その日常生活のデイテイルに及んで、更に又、もとの追懐へ戻らうとしてゐた時である。何かの拍子で、朝鮮団扇が、先生の手をすべつて、ぱたりと寄木《モザイク》の床の上に落ちた。会話は無論寸刻の断続を許さない程、切迫してゐる訳ではない。そこで、先生は、半身を椅子から前へのり出しながら、下を向いて、床の方へ手をのばした。団扇は、小さなテエブルの下に――上靴にかくれた婦人の白足袋の側に落ちてゐる。
その時、先生の眼には、偶然、婦人の膝が見えた。膝の上には、手巾を持つた手が、のつてゐる。勿論これだけでは、発見でも何でもない。が、同時に、先生は、婦人の手が、はげしく、ふるへてゐるのに気がついた。ふるへながら、それが感情の激動を強ひて抑へようとするせゐか、膝の上の手巾を、両手で裂かないばかりに緊《かた》く、握つてゐるのに気がついた。さうして、最後に、皺くちやになつた絹の手巾が、しなやかな指の間で、さながら微風にでもふかれてゐるやうに、繍《ぬひとり》のある縁《ふち》を動かしてゐるのに気がついた。――婦人は、顔でこそ笑つてゐたが、実はさつきから、全身で泣いてゐたのである。
団扇を拾つて、顔をあげた時に、先生の顔には、今までにない表情があつた。見てはならないものを見たと云ふ敬虔《けいけん》な心もちと、さう云ふ心もちの意識から来る或満足とが、多少の芝居気で、誇張されたやうな、甚《はなはだ》、複雑な表情である。
――いや、御心痛は、私のやうな子供のない者にも、よくわかります。
先生は、眩《まぶ》しいものでも見るやうに、稍《やや》、大仰《おほぎやう》に、頸を反らせながら、低い、感情の籠つた声でかう云つた。
――有難うございます。が、今更、何と申しましても、かへらない事でございますから……
婦人は、心もち頭を下げた。晴々した顔には、依然として、ゆたかな微笑が、たたへてゐる。――
* * *
それから、二時間の後である。先生は、湯にはいつて、晩飯をすませて、食後の桜実《さくらんばう》をつまんで、それから又、楽々と、ヴエランダの籐椅子に腰を下した。
長い夏の夕暮は、何時までも薄明りをただよはせて、硝子戸《ガラスど》をあけはなした広いヴエランダは、まだ容易に、暮れさうなけ
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