たものはございません。いや、実際竹馬は、あの日の焦《や》けた頬に、もう一すじ蚯蚓腫《みみずばれ》の跡を加えたようでございます。が、横なぐりに打ち下した竹馬が、まだ青い笹の葉に落花を掃《はら》ったと思うが早いか、いきなり大地《だいち》にどうと倒れたのは、沙門ではなくて、肝腎の鍛冶の方でございました。
 これに辟易《へきえき》した一同は、思わず逃腰《にげごし》になったのでございましょう。揉烏帽子《もみえぼし》も立《たて》烏帽子も意気地なく後《うしろ》を見せて、どっと沙門のまわりを離れましたが、見ると鍛冶は、竹馬を持ったまま、相手の足もとにのけぞり返って、口からはまるで癲癇病《てんかんや》みのように白い泡さえも噴いて居ります。沙門はしばらくその呼吸を窺っているようでございましたが、やがてその瞳を私どもの方へ返しますと、
「見られい。わしの云うた事に、偽《いつわ》りはなかったろうな。諸天童子は即座にこの横道者《おうどうもの》を、目に見えぬ剣《つるぎ》で打たせ給うた。まだしも頭《かしら》が微塵に砕けて、都大路《みやこおおじ》に血をあやさなんだのが、時にとっての仕合せと云わずばなるまい。」と、さも
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