にとどいても、とんと御返事と申すものは頂けません。が、若殿様は、一向それにも御頓着なく、三日にあげず、御文やら御歌やら、あるいはまた結構な絵巻やらを、およそものの三月あまりも、根気よく御遣《おつかわ》しになりました。さればこそ、日頃も仰有《おっしゃ》る通り、「あの頃の予が夢中になって、拙《つたな》い歌や詩を作ったのは、皆恋がさせた業《わざ》じゃ。」に、少しも違いはなかったのでございます。

        九

 丁度その頃の事でございます。洛中《らくちゅう》に一人の異形《いぎょう》な沙門《しゃもん》が現れまして、とんと今までに聞いた事のない、摩利《まり》の教と申すものを説き弘《ひろ》め始めました。これも一時随分評判でございましたから、中には御聞き及びの方《かた》もいらっしゃる事でございましょう。よくものの草紙などに、震旦《しんたん》から天狗《てんぐ》が渡ったと書いてありますのは、丁度あの染殿《そめどの》の御后《おきさき》に鬼が憑《つ》いたなどと申します通り、この沙門の事を譬《たと》えて云ったのでございます。
 そう申せば私が初めてその沙門を見ましたのも、やはり其頃の事でございました。
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