では、いかなる栄華《えいが》を極めようとも、天上皇帝の御教《みおしえ》に悖《もと》るものは、一旦|命終《めいしゅう》の時に及んで、たちまち阿鼻叫喚《あびきょうかん》の地獄に堕《お》ち、不断の業火《ごうか》に皮肉を焼かれて、尽未来《じんみらい》まで吠え居ろうぞ。ましてその天上皇帝の遺《のこ》された、摩利信乃法師《まりしのほうし》に笞《しもと》を当つるものは、命終の時とも申さず、明日《あす》が日にも諸天童子の現罰を蒙って、白癩《びゃくらい》の身となり果てるぞよ。」と、叱りつけたではございませんか。この勢いに気を呑まれて、私は元より当の鍛冶《かじ》まで、しばらくはただ、竹馬を戟《ほこ》にしたまま、狂おしい沙門の振舞を、呆れてじっと見守って居りました。
十
が、それはほんの僅の間《ま》で、鍛冶《かじ》はまた竹馬《たけうま》をとり直しますと、
「まだ雑言《ぞうごん》をやめ居らぬか。」と、恐ろしい権幕《けんまく》で罵りながら、矢庭《やにわ》に沙門《しゃもん》へとびかかりました。
元よりその時は私はじめ、誰でも鍛冶の竹馬が、したたか相手の面《おもて》を打ち据えたと、思わなかったものはございません。いや、実際竹馬は、あの日の焦《や》けた頬に、もう一すじ蚯蚓腫《みみずばれ》の跡を加えたようでございます。が、横なぐりに打ち下した竹馬が、まだ青い笹の葉に落花を掃《はら》ったと思うが早いか、いきなり大地《だいち》にどうと倒れたのは、沙門ではなくて、肝腎の鍛冶の方でございました。
これに辟易《へきえき》した一同は、思わず逃腰《にげごし》になったのでございましょう。揉烏帽子《もみえぼし》も立《たて》烏帽子も意気地なく後《うしろ》を見せて、どっと沙門のまわりを離れましたが、見ると鍛冶は、竹馬を持ったまま、相手の足もとにのけぞり返って、口からはまるで癲癇病《てんかんや》みのように白い泡さえも噴いて居ります。沙門はしばらくその呼吸を窺っているようでございましたが、やがてその瞳を私どもの方へ返しますと、
「見られい。わしの云うた事に、偽《いつわ》りはなかったろうな。諸天童子は即座にこの横道者《おうどうもの》を、目に見えぬ剣《つるぎ》で打たせ給うた。まだしも頭《かしら》が微塵に砕けて、都大路《みやこおおじ》に血をあやさなんだのが、時にとっての仕合せと云わずばなるまい。」と、さも横柄《おうへい》に申しました。
するとその時でございます。ひっそりと静まり返った人々の中から、急にけたたましい泣き声をあげて、さっき竹馬を持っていた童部《わらべ》が一人、切禿《きりかむろ》の髪を躍らせながら、倒れている鍛冶《かじ》の傍へ、転がるように走り寄ったのは。
「阿父《おとっ》さん。阿父さんてば。よう。阿父さん。」
童部《わらべ》はこう何度も喚《わめ》きましたが、鍛冶はさらに正気《しょうき》に還る気色《けしき》もございません。あの唇にたまった泡さえ、不相変《あいかわらず》花曇りの風に吹かれて、白く水干《すいかん》の胸へ垂れて居ります。
「阿父さん。よう。」
童部《わらべ》はまたこう繰り返しましたが、鍛冶が返事をしないのを見ると、たちまち血相を変えて、飛び立ちながら、父の手に残っている竹馬を両手でつかむが早いか、沙門を目がけて健気《けなげ》にも、まっしぐらに打ってかかりました。が、沙門はその竹馬を、持っていた画像《えすがた》の旗竿で、事もなげに払いながら、またあの気味の悪い笑《えみ》を洩らしますと、わざと柔《やさ》しい声を出して、「これは滅相な。御主《おぬし》の父親《てておや》が気を失ったのは、この摩利信乃法師《まりしのほうし》がなせる業《わざ》ではないぞ。さればわしを窘《くるし》めたとて、父親が生きて返ろう次第はない。」と、たしなめるように申しました。
その道理が童部《わらべ》に通じたと云うよりは、所詮この沙門と打ち合っても、勝てそうもないと思ったからでございましょう。鍛冶の小伜は五六度竹馬を振りまわした後で、べそを掻いたまま、往来のまん中へ立ちすくんでしまいました。
十一
摩利信乃法師《まりしのほうし》はこれを見ると、またにやにや微笑《ほほえ》みながら、童部《わらべ》の傍《かたわら》へ歩みよって、
「さても御主《おぬし》は、聞分けのよい、年には増した利発な子じゃ。そう温和《おとな》しくして居《お》れば、諸天童子も御主にめでて、ほどなくそこな父親《てておや》も正気《しょうき》に還して下されよう。わしもこれから祈祷《きとう》しょうほどに、御主もわしを見慣うて、天上皇帝の御慈悲に御すがり申したがよかろうぞ。」
こう云うと沙門は旗竿を大きく両腕に抱《いだ》きながら、大路《おおじ》のただ中に跪《ひざまず》いて、恭《うやうや》しげに頭を垂
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