せん。しかも生後|三月目《みつきめ》に死んでしまっているのです。母はどう云う量見《りょうけん》か、子でもない私を養うために、捨児の嘘をついたのでした。そうしてその後二十年あまりは、ほとんど寝食さえ忘れるくらい、私に尽してくれたのでした。
「どう云う量見か、――それは私も今日《こんにち》までには、何度考えて見たかわかりません。が、事実は知れないまでも、一番もっともらしく思われる理由は、日錚和尚の説教が、夫や子に遅れた母の心へ異常な感動を与えた事です。母はその説教を聞いている内に、私の知らない母の役を勤《つと》める気になったのじゃありますまいか。私が寺に拾われている事は、当時説教を聞きに来ていた参詣人からでも教わったのでしょう。あるいは寺の門番が、話して聞かせたかも知れません。」
 客はちょいと口を噤《つぐ》むと、考え深そうな眼をしながら、思い出したように茶を啜《すす》った。
「そうしてあなたが子でないと云う事は、――子でない事を知ったと云う事は、阿母《おっか》さんにも話したのですか。」
 私は尋ねずにはいられなかった。
「いえ、それは話しません。私の方から云い出すのは、余り母に残酷《ざんこく》ですから。母も死ぬまでその事は一言《いちごん》も私に話しませんでした。やはり話す事は私にも、残酷だと思っていたのでしょう。実際私の母に対する情《じょう》も、子でない事を知った後《のち》、一転化を来したのは事実です。」
「と云うのはどう云う意味ですか。」
 私はじっと客の目を見た。
「前よりも一層なつかしく思うようになったのです。その秘密を知って以来、母は捨児の私には、母以上の人間になりましたから。」
 客はしんみりと返事をした。あたかも彼自身子以上の人間だった事も知らないように。
[#地から1字上げ](大正九年七月)



底本:「芥川龍之介全集4」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年1月27日第1刷発行
   1993(平成5)年12月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月19日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
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