短篇を時代順に連ねた長篇だつた。僕は火の粉の舞ひ上るのを見ながら、ふと宮城の前にある或銅像を思ひ出した。この銅像は甲冑《かつちう》を着、忠義の心そのもののやうに高だかと馬の上に跨《またが》つてゐた。しかし彼の敵だつたのは、――
「※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]!」
僕は又遠い過去から目近《まぢか》い現代へすべり落ちた。そこへ幸ひにも来合せたのは或先輩の彫刻家だつた。彼は不相変|天鵞絨《びろうど》の服を着、短い山羊髯《やぎひげ》を反《そ》らせてゐた。僕は椅子から立ち上り、彼のさし出した手を握つた。(それは僕の習慣ではない、パリやベルリンに半生を送つた彼の習慣に従つたのだつた。)が、彼の手は不思議にも爬虫類《はちうるゐ》の皮膚のやうに湿つてゐた。
「君はここに泊つてゐるのですか?」
「ええ、……」
「仕事をしに?」
「ええ、仕事もしてゐるのです。」
彼はぢつと僕の顔を見つめた。僕は彼の目の中に探偵に近い表情を感じた。
「どうです、僕の部屋へ話しに来ては?」
僕は挑戦的に話しかけた。(この勇気に乏しい癖に忽ち挑戦的態度をとるのは僕の悪癖の一つだつた。)すると彼は微笑しながら、「どこ、君の部屋は?」と尋ね返した。
僕等は親友のやうに肩を並べ、静かに話してゐる外国人たちの中を僕の部屋へ帰つて行つた。彼は僕の部屋へ来ると、鏡を後ろにして腰をおろした。それからいろいろのことを話し出した。いろいろのことを?――しかし大抵は女の話だつた。僕は罪を犯した為に地獄に堕《お》ちた一人に違ひなかつた。が、それだけに悪徳の話は愈《いよいよ》僕を憂欝にした。僕は一時的清教徒になり、それ等の女を嘲り出した。
「S子さんの唇を見給へ。あれは何人もの接吻の為に、……」
僕はふと口を噤《つぐ》み、鏡の中に彼の後ろ姿を見つめた。彼は丁度耳の下に黄いろい膏薬を貼りつけてゐた。
「何人もの接吻の為に?」
「そんな人のやうに思ひますがね。」
彼は微笑して頷《うなづ》いてゐた。僕は彼の内心では僕の秘密を知る為に絶えず僕を注意してゐるのを感じた。けれどもやはり僕等の話は女のことを離れなかつた。僕は彼を憎むよりも僕自身の気の弱いのを恥ぢ、愈《いよいよ》憂欝にならずにはゐられなかつた。
やつと彼の帰つた後、僕はベツドの上に転《ころ》がつたまま、「暗夜行路」を読みはじめた。主人公の精神的
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