下だね、」とSは指を折って見て、「三十四か? 三十四ぐらいで死んだんじゃ、」――それきり急に黙ってしまった。
 僕は格別死んだことを残念に思ってはいなかった。しかし何かSの手前へも羞《はず》かしいようには感じていた。
「仕事もやりかけていたんだろう?」
 Sはもう一度遠慮勝ちに言った。
「うん、長いものを少し書きかけていた。」
「細君は?」
「達者だ。子供もこの頃は病気をしない。」
「そりゃまあ何よりだね。僕なんぞもいつ死ぬかわからないが、……」
 僕はちょっとSの顔を眺めた。SはやはりS自身は死なずに僕の死んだことを喜んでいる、――それをはっきり感じたのだった。するとSもその瞬間に僕の気もちを感じたと見え、厭《いや》な顔をして黙ってしまった。
 しばらく口を利《き》かずに歩いた後、Sは扇に日を除《よ》けたまま、大きい缶《かん》づめ屋の前に立ち止った。
「じゃ僕は失敬する。」
 缶づめ屋の店には薄暗い中に白菊が幾鉢も置いてあった。僕はその店をちらりと見た時、なぜか「ああ、Sの家は青木堂の支店だった」と思った。
「君は今お父さんと一しょにいるの?」
「ああ、この間から。」
「じゃまた。」
 僕はSに別れてから、すぐにその次の横町を曲《まが》った。横町の角の飾《かざ》り窓にはオルガンが一台|据《す》えてあった。オルガンは内部の見えるように側面の板だけはずしてあり、そのまた内部には青竹の筒が何本も竪《たて》に並んでいた。僕はこれを見た時にも、「なるほど、竹筒でも好いはずだ」と思った。それから――いつか僕の家の門の前に佇《たたず》んでいた。
 古いくぐり門や黒塀《くろべい》は少しもふだんに変らなかった。いや、門の上の葉桜の枝さえきのう見た時の通りだった。が、新らしい標札《ひょうさつ》には「櫛部寓《くしべぐう》」と書いてあった。僕はこの標札を眺めた時、ほんとうに僕の死んだことを感じた。けれども門をはいることは勿論、玄関から奥へはいることも全然不徳義とは感じなかった。
 妻は茶の間の縁側《えんがわ》に坐り、竹の皮の鎧《よろい》を拵《こしら》えていた。妻のいまわりはそのために乾皮《ひぞ》った竹の皮だらけだった。しかし膝の上にのせた鎧はまだ草摺《くさず》りが一枚と胴としか出来上っていなかった。
「子供は?」と僕は坐るなり尋ねた。
「きのう伯母《おば》さんやおばあさんとみんな鵠沼《く
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