方が難解なりしならん。恒藤はそんな事を知らざるに非ず。知って而して謹厳なりしが如し。しかもその謹厳なる事は一言一行の末にも及びたりき。例えば恒藤は寮雨をせず。寮雨とは夜間寄宿舎の窓より、勝手に小便を垂れ流す事なり。僕は時と場合とに応じ、寮雨位辞するものに非ず。僕問う。「君はなぜ寮雨をしない?」恒藤答う。「人にされたら僕が迷惑する。だからしない。君はなぜ寮雨をする?」僕答う。「人にされても僕は迷惑しない、だからする。」恒藤は又|賄《まかない》征伐をせず。皿を破り飯櫃を投ぐるは僕も亦能くせざる所なり。僕問う。「君はなぜ賄征伐をしない?」恒藤答う。「無用に器物を毀すのは悪いと思うから。――君はなぜしない?」僕答う。「しないのじゃない、出来ないのだ。」
今恒藤は京都帝国大学にシュタムラアとかラスクとかを講じ、僕は東京に文を売る。相見る事一年に一両度のみ。昔一高の校庭なる菩提樹下を逍遥しつつ、談笑して倦まざりし朝暮を思えば、懐旧の情に堪えざるもの多し。即ち改造社の嘱に応じ、立ちどころにこの文を作る。時に大正壬戌の年、黄花未だ発せざる重陽なり。
底本:「大川の水・追憶・本所両国 現代日本の
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