z de Toledo〕 に嫁す。明眸絳脣《めいぼうかうしん》、香肌《かうき》白き事|脂《し》の如し。女王マリア・ルイザ、その美を妬《ねた》み、遂に之を鴆殺《ちんさつ》せしむ。人間《じんかん》止《とど》め得たり一香嚢の長恨ある、かの楊太真《やうたいしん》と何《いづ》れぞや。侯爵夫人に情郎《じやうらう》あり。Francesco de Goya と云ふ。ゴヤは画名を西班牙に馳《は》するもの、生前|屡《しばしば》ドンナ・マリア・テレサの像を描《ゑが》く。俗伝にして信ずべくんば、Maja vestida と Maja desnuda との両画幀《りやうぐわたう》、亦《また》実に侯爵夫人が一代の国色を伝ふるが如し。後年|仏蘭西《フランス》に一画家あり。Edouard Manet と云ふ。ゴヤが侯爵夫人の画像を得て、狂喜|自《みづか》ら禁ずる能《あた》はず。直《ただち》にその画像を模して、一幀《いつたう》春の如き麗人図を作る。マネ時に印象派の先達《せんだつ》たり。交《かう》を彼と結ぶもの、当世の才人|尠《すくな》からず。その中に一詩人あり。Charles Baudelaire と云ふ。マネが侯爵夫人の画像を得て、愛翫《あいがん》する事|洪璧《こうへき》の如し。千八百六十六年、ボオドレエルの狂疾を発して、巴里《パリ》の寓居に絶命するや、壁間|亦《また》この檀口雪肌《だんこうせつき》、天仙の如き麗人図あり。星眼|長《とこし》へに秋波を浮べて、「悪の華《はな》」の詩人が臨終を見る、猶《なほ》往年マドリツドの宮廷に、黄面の侏儒《しゆじゆ》が筋斗《きんと》の戯《ぎ》を傍観するが如くなりしと云ふ。(五月二十九日)

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 支那に龍陽《りやうやう》の色《しよく》を売る少年を相公《しやうこう》と云ふ。相公の語、もと像姑《しやうこ》より出づ。妖※[#「女+堯」、第4水準2−5−82]《えいぜう》恰《あたか》も姑娘《こぢやう》の如くなるを云ふなり。像姑相公同音相通ず。即《すなはち》用ひて陰馬《いんば》の名に換へたるのみ。支那に路上春を鬻《ひさ》ぐの女《ぢよ》を野雉《やち》と云ふ。蓋《けだ》し徘徊|行人《かうじん》を誘《いざな》ふ、恰《あたか》も野雉の如くなるを云ふなり。邦語にこの輩を夜鷹《よたか》と云ふ。殆《ほとんど》同一|轍《てつ》に出づと云ふべし。野雉の語行はれて、野雉車
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