るんだが。……」
すると突然林大嬌は持っていた巻煙草《まきたばこ》に含芳を指さし、嘲《あざけ》るように何か言い放った。含芳は確かにはっとしたと見え、いきなり僕の膝を抑えるようにした。しかしやっと微笑したと思うと、すぐに又一こと言い返した。僕は勿論《もちろん》この芝居に、――或はこの芝居のかげになった、存外深いらしい彼等の敵意に好奇心を感ぜずにはいられなかった。
「おい、何と言ったんだい?」
「その人は誰の出迎いでもない、お母さんの出迎いに行ったんだと言うんだ。何、今ここにいる先生がね、×××と言う長沙の役者の出迎いか何かだろうと言ったもんだから。」(僕は生憎《あいにく》その名前だけはノオトにとる訣《わけ》に行かなかった。)
「お母さん?」
「お母さんと言うのは義理のお母さんだよ。つまりその人だの玉蘭《ぎょくらん》だのを抱えている家《いえ》の鴇婦《ポオプウ》のことだね。」
譚は僕の問を片づけると、老酒を一杯|煽《あお》ってから、急に滔々《とうとう》と弁じ出した。それは僕には這箇《チイコ》這箇《チイコ》の外には一こともわからない話だった。が、芸者や鴇婦などの熱心に聞いているだけでも、何か興味のあることらしかった。のみならず時々僕の顔へ彼等の目をやる所を見ると、少くとも幾分かは僕自身にも関係を持ったことらしかった。僕は人目には平然と巻煙草を銜《くわ》えていたものの、だんだん苛立《いらだ》たしさを感じはじめた。
「莫迦《ばか》! 何を話しているんだ?」
「何、きょう嶽麓《がくろく》へ出かける途中、玉蘭に遇《あ》ったことを話しているんだ。それから……」
譚は上脣《うわくちびる》を嘗《な》めながら、前よりも上機嫌につけ加えた。
「それから君は斬罪と言うものを見たがっていることを話しているんだ。」
「何だ、つまらない。」
僕はこう言う説明を聞いても、未《いま》だに顔を見せない玉蘭は勿論、彼女の友だちの含芳にも格別気の毒とは思わなかった。けれども含芳の顔を見た時、理智的には彼女の心もちを可也《かなり》はっきりと了解した。彼女は耳環《みみわ》を震わせながら、テエブルのかげになった膝の上に手巾《ハンケチ》を結んだり解いたりしていた。
「じゃこれもつまらないか?」
譚は後にいた鴇婦の手から小さい紙包みを一つ受け取り、得々とそれをひろげだした。その又紙の中には煎餅《せんべい》位大
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