と云ふ男である。
 或日津藤が禅超に遇《あ》ふと、禅超は錦木《にしきぎ》のしかけを羽織つて、三味線をひいてゐた。日頃から血色の悪い男であるが、今日は殊によくない。眼も充血してゐる。弾力のない皮膚が時々|口許《くちもと》で痙攣《けいれん》する。津藤はすぐに何か心配があるのではないかと思つた。自分のやうなものでも相談相手になれるなら是非させて頂きたい――さう云ふ口吻《こうふん》を洩らして見たが、別にこれと云つて打明ける事もないらしい。唯、何時《いつ》もよりも口数が少くなつて、ややもすると談柄《だんぺい》を失しがちである。そこで津藤は、これを嫖客《へうかく》のかかりやすい倦怠《アンニユイ》だと解釈した。酒色を恣《ほしいまま》にしてゐる人間がかかつた倦怠は、酒色で癒る筈がない。かう云ふはめから、二人は何時になくしんみりした話をした。すると禅超は急に何か思ひ出したやうな容子《ようす》で、こんな事を云つたさうである。
 仏説によると、地獄にもさまざまあるが、凡《およそ》先づ、根本地獄、近辺地獄、孤独地獄の三つに分つ事が出来るらしい。それも南瞻部洲下過五百踰繕那乃有地獄《なんせんぶしうのしもごひやく
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