しっかりと両脇に抱えながら、
「飛べ。飛べ。飛鳥《あすか》の大臣様《おおおみさま》のいらっしゃる、都の方へ飛んで行け。」と、声を揃えて喚《わめ》きました。
 髪長彦は驚いて、すぐに二人へとびかかりましたが、もうその時には大風が吹き起って、侍たちを乗せた黒犬は、きりりと尾を捲《ま》いたまま、遥な青空の上の方へ舞い上って行ってしまいました。
 あとにはただ、侍たちの乗りすてた二匹の馬が残っているばかりですから、髪長彦は三つ叉になった往来のまん中につっぷして、しばらくはただ悲しそうにおいおい泣いておりました。
 すると生駒山《いこまやま》の峰の方から、さっと風が吹いて来たと思いますと、その風の中に声がして、
「髪長彦さん。髪長彦さん。私《わたし》は生駒山の駒姫《こまひめ》です。」と、やさしい囁《ささや》きが聞えました。
 それと同時にまた笠置山《かさぎやま》の方からも、さっと風が渡るや否や、やはりその風の中にも声があって、
「髪長彦さん。髪長彦さん。私《わたし》は笠置山の笠姫《かさひめ》です。」と、これもやさしく囁きました。
 そうしてその声が一つになって、
「これからすぐに私《わたし》たちは、あの侍たちの後《あと》を追って、笛をとり返して上げますから、少しも御心配なさいますな。」と云うか云わない中《うち》に、風はびゅうびゅう唸りながら、さっき黒犬の飛んで行った方へ、狂って行ってしまいました。
 が、少したつとその風は、またこの三つ叉《また》になった路の上へ、前のようにやさしく囁きながら、高い空から下《おろ》して来ました。
「あの二人の侍たちは、もう御二方の御姫様と一しょに、飛鳥《あすか》の大臣様《おおおみさま》の前へ出て、いろいろ御褒美《ごほうび》を頂いています。さあ、さあ、早くこの笛を吹いて、三匹の犬をここへ御呼びなさい。その間《あいだ》に私たちは、あなたが御出世の旅立を、恥しくないようにして上げましょう。」
 こう云う声がしたかと思うと、あの大事な笛を始め、金の鎧《よろい》だの、銀の兜《かぶと》だの、孔雀《くじゃく》の羽の矢だの、香木《こうぼく》の弓だの、立派な大将の装いが、まるで雨か霰《あられ》のように、眩《まぶ》しく日に輝きながら、ばらばら眼の前へ降って来ました。

        六

 それからしばらくたって、香木の弓に孔雀の羽の矢を背負《しょ》った、神様の
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