くは互に抱《だ》き合ったまま、うれし涙にくれていらっしゃいました。髪長彦もこの気色《けしき》を見て、貰い泣きをしていましたが、急に三匹の犬が背中の毛を逆立《さかだ》てて、
「わん。わん。土蜘蛛《つちぐも》の畜生め。」
「憎いやつだ。わん。わん。」
「わん。わん。わん。覚えていろ。わん。わん。わん。」と、気の違ったように吠え出しましたから、ふと気がついてふり返えると、あの狡猾《こうかつ》な土蜘蛛は、いつどうしたのか、大きな岩で、一分の隙《すき》もないように、外から洞穴の入口をぴったりふさいでしまいました。おまけにその岩の向うでは、
「ざまを見ろ、髪長彦め。こうして置けば、貴様たちは、一月とたたない中に、ひぼしになって死んでしまうぞ。何と己様《おれさま》の計略は、恐れ入ったものだろう。」と、手を拍《たた》いて土蜘蛛の笑う声がしています。
これにはさすがの髪長彦も、さては一ぱい食わされたかと、一時は口惜しがりましたが、幸い思い出したのは、腰にさしていた笛の事です。この笛を吹きさえすれば、鳥獣《とりけもの》は云うまでもなく、草木《くさき》もうっとり聞き惚《ほ》れるのですから、あの狡猾《こうかつ》な土蜘蛛も、心を動かさないとは限りません。そこで髪長彦は勇気をとり直して、吠えたける犬をなだめながら、一心不乱に笛を吹き出しました。
するとその音色《ねいろ》の面白さには、悪者の土蜘蛛も、追々《おいおい》我を忘れたのでしょう。始は洞穴の入口に耳をつけて、じっと聞き澄ましていましたが、とうとうしまいには夢中になって、一寸二寸と大岩を、少しずつ側《わき》へ開きはじめました。
それが人一人通れるくらい、大きな口をあいた時です。髪長彦は急に笛をやめて、
「噛め。噛め。洞穴の入口に立っている土蜘蛛を噛み殺せ。」と、斑犬《ぶちいぬ》の背中をたたいて、云いつけました。
この声に胆をつぶして、一目散に土蜘蛛は、逃げ出そうとしましたが、もうその時は間に合いません。「噛め」はまるで電《いなずま》のように、洞穴の外へ飛び出して、何の苦もなく土蜘蛛を噛み殺してしまいました。
所がまた不思議な事には、それと同時に谷底から、一陣の風が吹き起って、
「髪長彦さん。難有《ありがと》う。この御恩は忘れません。私《わたし》は土蜘蛛にいじめられていた、笠置山《かさぎやま》の笠姫《かさひめ》です。」とやさしい声が
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