しかも一方ではN家の主人などが、私の気鬱《きうつ》の原因を独身生活の影響だとでも感違いをしたのでございましょう。一日も早く結婚しろと頻《しきり》に主張しますので、日こそ違いますが二年|前《ぜん》にあの大地震のあった十月、いよいよ私はN家の本邸で結婚式を挙げる事になりました。連日の心労に憔悴《しょうすい》し切った私が、花婿《はなむこ》らしい紋服を着用して、いかめしく金屏風を立てめぐらした広間へ案内された時、どれほど私は今日《こんにち》の私を恥しく思ったでございましょう。私はまるで人目を偸《ぬす》んで、大罪悪を働こうとしている悪漢のような気が致しました。いや、ような気ではございません。実際私は殺人の罪悪をぬり隠して、N家の娘と資産とを一時盗もうと企てている人非人《にんぴにん》なのでございます。私は顔が熱くなって参りました。胸が苦しくなって参りました。出来るならこの場で、私が妻を殺した一条を逐一《ちくいち》白状してしまいたい。――そんな気がまるで嵐のように、烈しく私の頭の中を駈けめぐり始めました。するとその時、私の着座している前の畳へ、夢のように白羽二重《しろはぶたえ》の足袋が現れました。続
前へ 次へ
全30ページ中27ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング