なっていた校長で、これが純粋に私のためを計った結果だと申す事は私にもよく呑み込めました。また実際その頃はもうあの大地震《おおじしん》があってから、かれこれ一年あまり経った時分で、校長がこの問題を切り出した以前にも、内々同じような相談を持ちかけて私の口裏《くちうら》を引いて見るものが一度ならずあったのでございます。所が校長の話を聞いて見ますと、意外な事にはその縁談の相手と云うのが、唯今先生のいらっしゃる、このN家の二番娘で、当時私が学校以外にも、時々|出稽古《でげいこ》の面倒を見てやった尋常四年生の長男の姉だったろうではございませんか。勿論私は一応辞退しました。第一教員の私と資産家のN家とでは格段に身分も違いますし、家庭教師と云う関係上、結婚までには何か曰《いわ》くがあったろうなどと、痛くない腹を探《さぐ》られるのも面白くないと思ったからでございます。同時にまた私の進まなかった理由の後《うしろ》には、去る者は日に疎《うと》しで、以前ほど悲しい記憶はなかったまでも、私自身打ち殺した小夜《さよ》の面影が、箒星《ほうきぼし》の尾のようにぼんやり纏《まつ》わっていたのに相違ございません。
 が、校長は十分私の心もちを汲んでくれた上で、私くらいの年輩の者が今後独身生活を続けるのは困難だと云う事、しかも今度の縁談は先方から達《た》っての所望《しょもう》だと云う事、校長自身が進んで媒酌《ばいしゃく》の労を執《と》る以上、悪評などが立つ謂《い》われのないと云う事、そのほか日頃私の希望している東京遊学のごときも、結婚した暁には大いに便宜があるだろうと云う事――そう事をいろいろ並べ立てて、根気よく私を説きました。こう云われて見ますと、私も無下《むげ》には断ってしまう訳には参りません。そこへ相手の娘と申しますのは、評判の美人でございましたし、その上御恥しい次第ではございますが、N家の資産にも目がくれましたので、校長に勧められるのも度重なって参りますと、いつか「熟考して見ましょう。」が「いずれ年でも変りましたら。」などと、だんだん軟化致し始めました。そうしてその年の変った明治二十六年の初夏には、いよいよ秋になったら式を挙げると云う運びさえついてしまったのでございます。
 するとその話がきまった頃から、妙に私は気が鬱《うつ》して、自分ながら不思議に思うほど、何をするにも昔のような元気がなくなっ
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