はとうに走つて行つてしまつた機関車のあるのを知るであらう。煙や火花は電気機関車にすれば、ただその響きに置き換へても善《よ》い。「人は皆無《かいむ》、仕事は全部」といふフロオベエルの言葉はこのためにわたしを動かすのである。宗教家、芸術家、社会運動家、――あらゆる機関車は彼等の軌道により、必然にどこかへ突進しなければならぬ。もつと早く、――その外《ほか》に彼らのすることはない。
 我々の機関車を見る度におのづから我々自身を感ずるのは必《かならず》しもわたしに限つたことではない。斎藤緑雨《さいとうりよくう》は箱根《はこね》の山を越える機関車の「ナンダ、コンナ山、ナンダ、コンナ山」と叫ぶことを記《しる》してゐる。しかし碓氷峠《うすひとうげ》を下《くだ》る機関車は更に歓びに満ちてゐるのであらう。彼はいつも軽快に「タカポコ高崎《たかさき》タカポコ高崎」と歌つてゐるのである。前者を悲劇的機関車とすれば後者は喜劇的機関車かも知れない。
[#地から1字上げ](昭和二年七月)



底本:「芥川龍之介作品集第四巻」昭和出版社
   1965(昭和40)年12月20日発行
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月27日公開
2003年10月7日修正
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