一《なるせしやういち》、松岡譲《まつをかゆづる》、江口渙《えぐちくわん》等も学校友だちなり。然れども是等の友だちのことは既に一度以上書いてゐるか、少くとも諸公百年の後《のち》には何か書かせられる間《あひだ》がら故、此処《ここ》には書かざることとすべし。只|次手《ついで》に書き加へたきは忘れ難き亡友のことなり。
大島敏夫《おおしまとしを》 これは小学時代の友だちなり。僕も小学時代には頭の大いなる少年なりしも、大島の頭の大いなるには一歩も二歩も遜《ゆづ》りしを記憶す。園芸を好み、文芸をも好みしが、二十《はたち》にもならざるうちに腸結核《ちやうけつかく》に罹《かか》りて死せり。何処《どこ》か老成の風ありしも夭折《えうせつ》する前兆なりしが如し。尤《もつと》も僕は気の毒にも度《たび》たび大島を泣かせては、泣虫泣虫とからかひしものなり。
平塚逸郎《ひらつかいちらう》 これは中学時代の友だちなり。屡《しばしば》僕と見違へられしと言へば、長面|痩躯《そうく》なることは明らかなるべし。ロマンテイツクなる秀才なりしが、岡山の高等学校へはひりし後《のち》、腎臓結核《じんざうけつかく》に罹《かか》りて死せり。平塚の父は画家なりしよし、その最後の作とか言ふ大幅《たいふく》の地蔵尊を見しことあり。病と共に失恋もし、千葉《ちば》の大原《おほはら》の病院にたつた一人《ひとり》絶命せし故、最も気の毒なる友だちなるべし。一時中学の書記となり、自炊生活を営みし時、「夕月《ゆふづき》に鰺《あぢ》買ふ書記の細さかな」と自《みづか》ら病躯《びやうく》を嘲《あざけ》りしことあり。失恋せる相手も見しことあれども、今は如何《いか》になりしや知らず。
[#地から1字上げ](大正十四年一月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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