柔道、水泳|等《とう》も西川と共に稽古《けいこ》したり。震災の少し前に西洋より帰り、舶来《はくらい》の書を悉《ことごとく》焼きたりと言ふ。リアリストと言ふよりもおのづからセンテイメンタリズムを脱せるならん。この間《あひだ》鳥取《とつとり》の柿《かき》を貰ふ。お礼にバトラアの本をやる約束をしてまだ送らず。尤《もつと》も柿の三分の一は渋柿なり。
 中原安太郎《なかはらやすたらう》 これも中学以来の友だちなり。諢名《あだな》は狸《たぬき》、されども顔は狸に似ず。性格にも狸と言ふ所なし。西川に伯仲《はくちう》する秀才なれども、世故《せこ》には西川よりも通ぜるかも知れず。菊池寛《きくちくわん》の作品の――殊に「父帰る」の愛読者。東京の法科大学を出《いで》、三井物産《みつゐぶつさん》に入《はり》り、今は独立の商売人なり。実生活上にも適度のリアリズムを加へたる人道主義者。大金儲《おほがねまうけ》したる時には僕に別荘を買つてくれる約束なれど、未《いま》だに買つてくれぬ所を見れば、大した収入もなきものと知るべし。
 山本喜誉司《やまもときよし》 これも中学以来の友だちなり。同時に又|姻戚《いんせき》の一人《ひとり》なり。東京の農科大学を出《いで》、今は北京《ペキン》の三菱《みつびし》に在り。重大ならざる恋愛上のセンテイメンタリスト。鈴木三重吉《すずきみへきち》、久保田万太郎《くぼたまんたらう》の愛読者なれども、近頃は余り読まざるべし。風采|瀟洒《せうしや》たるにも関《かかは》らず、存外《ぞんぐわい》喧嘩《けんくわ》には負けぬ所あり。支那に棉《わた》か何か植ゑてゐるよし。
 恒藤恭《つねとうきやう》 これは高等学校以来の友だちなり。旧姓は井川《ゐがは》。冷静なる感情家と言ふものあらば、恒藤は正にその一人《ひとり》なり。京都の法科大学を出《いで》、其処《そこ》の助教授か何かになり、今はパリに留学中。僕の議論好きになりたるは全然この辛辣《しんらつ》なる論理的天才の薫陶《くんたう》による。句も作り、歌も作り、小説も作り、詩も作り、画《ゑ》も作る才人なり。尤《もつと》も今はそんなことは知らぬ顔をしてゐるのに相違なし。僕は大学に在学中、雲州《うんしう》松江《まつえ》の恒藤《つねとう》の家にひと夏|居候《ゐさふらふ》になりしことあり。その頃恒藤に煽動《せんどう》せられ、松江紀行一篇を作り、松陽新報
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