しまったのだ。これは確か、君が朝鮮《ちょうせん》から帰って来た頃の事だったろう。あの頃の僕は、いかにして妻の従弟から妻を引き離そうかと云う問題に、毎日頭を悩ましていた。あの男の愛《アムウル》に虚偽《きょぎ》はあっても、妻のそれは純粋なのに違いない。――こう信じていた僕は、同時にまた妻自身の幸福のためにも、彼等の関係に交渉する必要があると信じていたのだ。が、彼等は――少くとも妻は、僕のこう云う素振《そぶ》りに感づくと、僕が今まで彼等の関係を知らずにいて、その頃やっと気がついたものだから、嫉妬《しっと》に駆られ出したとでも解釈してしまったらしい。従って僕の妻は、それ以来僕に対して、敵意のある監視を加え始めた。いや、事によると時々は、君にさえ僕と同様の警戒を施していたかも知れない。』私『そう云えば、いつか君の細君は、書斎で我々が話しているのを立ち聴きをしていた事があった。』三浦『そうだろう、ずいぶんそのくらいな振舞《ふるまい》はし兼ねない女だった。』私たちはしばらく口を噤《つぐ》んで、暗い川面《かわも》を眺めました。この時もう我々の猪牙舟《ちょきぶね》は、元の御厩橋《おうまやばし》の下をくぐりぬけて、かすかな舟脚《ふなあし》を夜の水に残しながら、彼是《かれこれ》駒形《こまかた》の並木近くへさしかかっていたのです。その中にまた三浦が、沈んだ声で云いますには、『が、僕はまだ妻の誠実を疑わなかった。だから僕の心もちが妻に通じない点で、――通じない所か、むしろ憎悪を買っている点で、それだけ余計に僕は煩悶《はんもん》した。君を新橋に出迎えて以来、とうとう今日《きょう》に至るまで、僕は始終この煩悶と闘わなければならなかったのだ。が、一週間ばかり前に、下女か何かの過失から、妻の手にはいる可き郵便が、僕の書斎へ来ているじゃないか。僕はすぐ妻の従弟の事を考えた。そうして――とうとうその手紙を開いて見た。すると、その手紙は思いもよらないほかの男から妻へ宛てた艶書《えんしょ》だったのだ。言い換えれば、あの男に対する妻の愛情も、やはり純粋なものじゃなかったのだ。勿論この第二の打撃は、第一のそれよりも遥《はるか》に恐しい力を以て、あらゆる僕の理想を粉砕した。が、それと同時にまた、僕の責任が急に軽くなったような、悲しむべき安慰《あんい》の感情を味った事もまた事実だった。』三浦がこう語り終った時、丁度向う河岸《がし》の並倉《なみぐら》の上には、もの凄いように赤い十六夜《じゅうろくや》の月が、始めて大きく上り始めました。私はさっきあの芳年《よしとし》の浮世絵を見て、洋服を着た菊五郎から三浦の事を思い出したのは、殊にその赤い月が、あの芝居の火入《ひい》りの月に似ていたからの事だったのです。あの色の白い、細面《ほそおもて》の、長い髪をまん中から割った三浦は、こう云う月の出を眺めながら、急に長い息《いき》を吐《は》くと、さびしい微笑を帯びた声で、『君は昔、神風連《しんぷうれん》が命を賭《と》して争ったのも子供の夢だとけなした事がある。じゃ君の眼から見れば、僕の結婚生活なども――』私『そうだ。やはり子供の夢だったかも知れない。が、今日《こんにち》我々の目標にしている開化も、百年の後《のち》になって見たら、やはり同じ子供の夢だろうじゃないか。……』」
 丁度|本多子爵《ほんだししゃく》がここまで語り続けた時、我々はいつか側へ来た守衛《しゅえい》の口から、閉館の時刻がすでに迫っていると云う事を伝えられた。子爵と私《わたくし》とは徐《おもむろ》に立上って、もう一度周囲の浮世絵と銅版画とを見渡してから、そっとこのうす暗い陳列室の外へ出た。まるで我々自身も、あの硝子戸棚《ガラスとだな》から浮び出た過去の幽霊か何かのように。
[#地から1字上げ](大正八年一月)



底本:「芥川龍之介全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年10月28日第1刷発行
   1996(平成8)年7月15日第11刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月23日公開
2004年3月8日修正
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